すかに低いものであるが、それを私どもの耳ははっきりと聞くのである。すると不思議なことに、それから二三日中の間に必ず天気が変わる。つまり私どもの耳は天気予報の役目も務めるわけで、近頃は警視庁なんかでも、騒音ということを非常に喧ましく取締っているようだが、また事実騒音も聞き方によっては非常に癪に障るものであるが、しかし音の世界に生きる私どもは、波の音を聞く感じを以て電車の音を聞く時、街の騒音にもそこに一脈の愛《いと》しさを覚えずにはいられないのである。
やがては、誰しも騒音も何も聞こえぬ所へ行かねばならぬのだから、せめて生きている間は、騒音でも何でも聞こえることに感謝しなければならぬと思う。
それが、音の世界に生きる私共の――少くとも私の「こころ」である。
先天的の失明でなかったから、私には色というものの記憶が少しはあって、作曲するにはやはりその色を思い出す。はっきりは出ないが、何かやはり眼に浮かんで来るものがある。それと音とが一緒になるのである。どうといって具体的にはいえないが、音にもやはり色はあるもので、あの西洋の作家なんかでも、ドレミファをそれぞれ自分の頭の中でいろいろ勝手に
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