持って来たか、何か苦いことをいいに来たかというようなことはよくわかるものである。また肥った人か痩せた人かの判断も、その声によって容易である。例えば高く優しくとも肥った人の声は、やはりどこかに力があるものだ。
声ばかりではない、歩く足音でそれが誰であるかということがよくわかる。家の者が外出から帰って来たのか、客であるか、弟子であるか、弟子の誰であるか、大抵その足音でわかる。道を歩いていても、それが男であるか女であるかは勿論、その女は美人であるかどうかもやはり足音でわかる。殊に神楽坂などという粋な筋を通っていると、その下駄の音であれは半玉だな、ということまでわかる。それは不思議なくらいよくわかる。ところが、この間道を通る人の靴音をきいて、傍の家人に今のはお巡りさんかと尋ねてみたら、「いいえ女学校生です」とのことであった。この頃の女学生は活発な歩き方をするので、私の耳も判断に迷うことがある。
騒音もまた愉し
それから、ふだんは普通の人には勿論、私どもにさえも聞こえないような電車の音やいろいろな街の雑音が聞こえてくることがしばしばある。それは丁度、海岸で遠い波の音を聞くようにか
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