のレコードを持っていた。友人の内田百間先生は、この曲が非常に好きで、あのタンタンタヽヽヽという節を聴くと妙にビールが飲みたくなるので、私の家で飲んだり、何処かへ飲みにつれていって貰ったりしたが、私もその頃、この曲が好きで、これにヒントを得て、「落葉の踊」を作ってみたのである。
その後、百間先生が学生を連れて来て、酔っぱらった勢でこのレコードを没収して帰ったように思ったが、今、その話をすると、そんな覚えはない、迷惑な話だというのである。
その頃は、ハイフェッツ、エルマン、クライスラー、ジンバリストなどが相ついで来朝したのである。
そして、百間先生はこの曲の実演をきいた時には、たまらなくなって、休憩時間に日比谷の地下室へ降りて、ビールを飲んだとかである。
クライスラーが来朝した時には、三島さんのお邸で私は「落葉の踊」と、「秋の調」を聴いて貰ったが、このレコードと関連して、今懐しく思い出されるのである。
私にはレコードが命から二番目位大事なので、戦時中にも荷馬車に積んで疎開先をあちらこちらと持廻ったので、今でも多少残っているのは嬉しい。
私は気分の勝れない時はモーツァルトの曲を聴
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