また、置場所などにも心覚えがある。それでやっと探り出したのは、ベートーヴェンのワルツによる三十三の変奏曲であった。ピアノはフイッシャーの演奏であったが、それを電気蓄音機で弱くして聴いた。ところが私の思惑とは違った。
私は形式などを参考にしたいと思っていたが、それよりも変奏の変る毎に私に感じるのはベートーヴェンの何か心理というようなものであった。
私は寝床のすぐ側へ蓄音機をおいて、寝ながら聴いていて、レコードを裏返す時にはそのまま手を延ばし、一枚済むと上半身を起してかけ変える。誠に無性なようであるが、こう横になって聴いていると、一層深く味わうことが出来る。
次第に変わって行く和声的な最低音や、最高音、それに何かを暗示するように続いて聞こえるある低音などが、しんとした真夜中と一体になったように私に感じられて、何か深い人生までが思い浮かんでくるのであった。そしてレコードを七枚聴き終った時はもう夜明近くであった。この名曲もさることながら、私は理解の深いフイッシャーの演奏ぶりに、今更のように敬服の念が湧いてきたのであった。
私はずっと以前に、ハイフェッツの古い吹込らしかったが「妖精の踊」
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