同じ芸人の手も役者の手は徳なものである。
 乗合で馬券を買ひました。是は横浜で或人が君十円乗らぬかと云ふので進めに来て呉れた。顔を知らぬ人であつたけれども、宜しいと云ふて乗りました。其馬が勝つて配当が百五十円、あゝ有難い、思ひも寄らぬ馬を半分乗せに来て呉れて七十五円儲かつたと思ふたが、何時迄待つても其人が持つて来て呉れぬ。是は能くある奴で、時折当ると其金を取つて乗つた人を誤魔化して、逃げてしまふ場合があります。私も其手に引掛つて居たのであらうと探し草疲れて諦めて帰りました。其時私の切席が十番の福槌亭でした。福槌の切席に上つて閉ねて帰らうとすると、木戸から帰り掛けて居る御客が、私を待つて居つて今日二人で買うた奴が当つたから、金を持つて探し廻つたが、どうしても馬券場で見当らなかつたので、此処迄持つて来てやつたと云ふ、七十五円呉れゝば宜いものを、五朱に追付けると云ふので八十円貰うてこんな嬉しいこともありました。そこで斯云ふのは矢張芸人の得と云ふのでございませう。
 競場の歴史なんか調べて居る競馬狂は先づありませぬ。さう云ふ暇があればどの馬が勝つかを研究する、それに競馬で勝つた者は、外のものと
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