、それが長靴履いて、すつぽり外套を着て居る。尤も婦人が雨の着流しの外套がありつこがないから、誰かの借物でせう。それを着て頭から頭巾を冠つてしまつて、そして無論長靴ですから、お尻はすつくり端折つて居る。側の人は随分あの女の風姿は何と云ふのだと申すそうですけれども、競馬場の中では決して人は笑ひませぬ、咎めるだけの余裕がないのです。気違ひ共に服装の云々はある筈ない。
あの風姿を気にするのは本当の競馬好きぢやない。雨が降つて馬券が買ひに行けぬの、競馬を見ずに人の後に這入つて腰を掛けるのと、雨を避けてしやがんで居るのは本当の競馬好ではない。だから競馬場ではさう云ふ風をして居る方が順当ですな。
競馬の広告に付ては、総て何が一番広告が行届かぬと云ふても、競馬ほど行届かぬものはありますまい。と云ふのが競馬のあるのを、此方から探して行くのですから、只公認競馬でも何でも新聞に一寸出て居るだけでせう。草競馬の方は幾らかプロなんかも出してやつて居りますけれども、私等が一時は草競馬迄行きましたがね、けれどもあら、こんな所にあつたのかねと云ふ場合があります。丸で知らずに居ることがあります。他のものと違つて競馬
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