慢な十個の頭を有つたラヴアンの力に反抗するといふ聖典中の物語は何を意味してゐるか。それは精神力の物質力征服を意味してゐないか。しかし、私は實行家として、印度が政治界に於ける精神生活の實行力を認めるまで待つてはゐられない。印度は自己が無力であると考へて英國人の機關銃や、タンクや、飛行機の前に萎縮した。そして印度は自己が無力であるから「非協同を採用」した。この非協同は同じ目的に役立つに違ひない、即ち十分に多數の印度人がそれを實行するならば、英國の不正の苛擔から印度を解放するに違ひない。[#「違ひない。」は底本では「違ひない」]
私はこの「非協同」を愛蘭のシン・フエーン主義と區別する。何となれば、「非協同」は暴力と肩を並べて進むことを許さないからである。私はこの平和的な「非協同」の試用を暴力派の人々に勸める。「非協同」はもともと弱いものだから、失敗することはないだらう。それは手答がないために失敗するかも知れない。それが眞に危險な時期である。國民的屈辱を最早忍べなくなつた高潔の士は、その怒を漏らしたくなるであらう。彼等は暴力に訴へるであらう。然し私の知る限りでは、彼等は彼等自身又は彼等の祖國
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