泉鏡花先生のこと
小村雪岱
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)豊国《とよくに》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)久保|猪之吉《いのきち》氏
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私が泉鏡花先生に初めてお眼にかかったのは、今から三十二、三年前の二十一歳の時でした。丁度、久保|猪之吉《いのきち》氏が学会で九州から上京され、駿河台の宿屋に泊っておられ、豊国《とよくに》の描いた日本で最初に鼻茸を手術した人の肖像を写すことを依頼されて、その宿屋に毎日私が通っている時に、鏡花先生御夫妻が遊びに見えられて、お逢いしたのでした。
久保氏夫人よりえさんは、落合直文門下の閨秀《けいしゅう》歌人として知られた方で、娘時代から鏡花先生の愛読者であった関係から親交があったのです。
当時、鏡花先生は三十五、六歳ですでに文運隆々たる時代であり、たしか「白鷺」執筆中と思いましたが、二十八、九歳の美しいすゞ子夫人を伴って御出《おいで》になった時、白面の画工に過ぎなかった私は、この有名な芸術家にお逢い出来たことをどんなに感激したかわかりませんでした。その時の印象としては、色の白い、小さな、綺麗な
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