でした。
 食物の潔癖に次いで先生の出不精もよくいわれますが、これは一つには犬を大変怖がられたためもありました。もし噛《か》みつかれて狂犬病になり、四ツん這《ば》いでワンワンなんていう病気にでもなっては大変だということからの恐怖ですが、それだけに狂犬病については医者もおよばないくらいに良く調べて知っておられました。犬の怖い先生は歩いては殆《ほとん》ど外出されず、そのために一々車を呼んで出歩かれました。
 雷と船も大変嫌がられましたが、これも神経的に冒険や危険に近づくことを警戒される結果と思われます。
 神仏に対する尊敬の念の厚かったことは、生来からと思われますが、神社仏閣の前では常に土下座をされて礼拝されました。私などお伴をして歩いている時に、社の前で突然土下座をされるので、先生を何度踏みつけようとしたか知れませんでした。宮城前ではどんなに乱酔されていても、昔からこの礼を忘れられたことはなく、まことにその敬虔《けいけん》な御様子には思わず頭が下がりました。
 師の尾崎紅葉先生に対しても、全く神様と同様に絶対の尊敬と服従で奉仕されたそうで、三十年来、お宅の床の間には紅葉先生の写真を飾ってお供物を欠かされませんでした。
 世間では鏡花先生を大変江戸趣味人のように思っているようですが、なるほど着物などは奥さんの趣味でしょうか、大変粋でしたが、決して「吹き流し」といった江戸ッ児風の気象ではなく、あくまで鏡花流の我の強いところがありました。
 趣味としては兎の玩具を集めておられて、これを聞いて方々から頂かれる物も多く、大変な数でした。
 お仕事は殆ど毛筆で、机の上に香を焚《た》かれ、時々筆の穂先に香の薫りをしみ込ませては原稿を書かれていたと聞きます。
 さすがに文人だけに文字を大切にされたことは、想像以上で、どんなつまらぬ事柄でも文字の印刷してある物は絶対に粗末に出来ない性質で、御はしと刷ってある箸の袋でも捨てられず、奥さんが全部丁重に保存しておられたようで、時々は小さな物は燃やしておられました。誰でも良くやる指先で、こんな字ですと畳の上などに書きますと、後を手で消す真似をしておかないといかんと仰言《おっしゃ》るのです。ですから先生の色紙なども数は非常に少なく、雑誌社に送った原稿なども、校正と同時に自分の手元においてお返しにならなかったように聞いております。
 煙草《たばこ》
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