の時の習慣と、節制、用心が生物禁断という厳重な戒律となり、それが神経的な激しい嫌悪にまでなってしまったのだと承りました。
大体に潔癖な方ですから、生物を食べなくなってからの先生は、如何《いか》なる例外もなく良く煮た物しか召し上がらなかった。刺身、酢の物などは、もってのほかのことであり、お吸物の中に柚子《ゆず》の一端、青物の一切が落としてあっても食べられない。大根おろしなども非常にお好きなのだそうですが、生が怖くて茹《ゆ》でて食べるといった風であり、果物なども煮ない限りは一切口にされませんでした。
先生の熱燗《あつかん》はこうした生物嫌いの結果ですが、そのお燗の熱いのなんのって、私共が手に持ってお酌が出来るような熱さでは勿論駄目で、煮たぎったようなのをチビリチビリとやられました。
自分の傍に鉄瓶がチンチンとたぎっていないと不安で気が落着かないという先生の性分も、この生物恐怖性の結果かも知れません。
生物以外に形の悪いもの、性《しょう》の知れないものは食べられませんでした。シャコ、エビ、タコ等は虫か魚か分らないような不気味なものだといって、怖気《おぞけ》をふるっておられました。ところが一度ある会で大変良い機嫌に酔われまして、といっても先生は酒は好きですが二本くらいですっかり酔払ってしまわれる良い酒でしたが、どう間違われてか、眼の前のタコをむしゃむしゃ食べてしまわれました。それを発見して私は非常に吃驚《びっくり》しましたが、そのことを翌日私の所へ見えられた折に話しをしましたら、先生はさすがに顔色を変えられて、「そういえば手巾にタコの疣《いぼ》がついていたから変だとは思ったが――」といってられるうちに、腹が痛くなって来たと家へ帰ってしまわれた。まさか昨晩のタコが今になって腹を痛くしたのではないのでしょうが、私はとんだことをいったものだと後悔しました。
またある時、先日なくなられた岡田三郎助さんの招待で、支那料理を御馳走になったことがありました。小さな丸い揚げ物が大変に美味しく、鏡花先生も相当召し上がられたのですが、後でそれが蛙《かえる》と聞いて先生はびっくりし、懐中から手ばなしたことのない宝丹を一袋全部、あわてて飲み下して、「とんだことをした」と、蒼《あお》くなっておられた時のことも今に忘れません。
好んで召し上がられたものは、野菜、豆腐、小魚などのよく煮たもの
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