は子供のころからの大好物だそうで、常に水府を煙管《きせる》で喫っておられました。映画なども昔はよく行かれたそうですが、煙草が喫えなくなってからは、不自由なために行かれなくなりました。
 御著書の装幀《そうてい》は、私も相当やらせて頂きました。最初は大正元年ごろでしたが、千章館で『日本橋』を出版される時で、私にとっては最初の装幀でした。その後春陽堂からの物は大抵やらせて頂きましたが、中々に註文の難しい方で、大体濃い色はお嫌いで、茶とか鼠《ねずみ》の色は使えませんでした。
 このように自己というものを常にしっかり持った名人肌の芸術家でしたが、神経質の反面、大変愛嬌のあった方で、その温かさが人間鏡花として掬《く》めども尽きぬ滋味を持っておられたのでした。
 同じ事柄でも先生の口からいわれると非常に面白く味深く聞かれ、その点は座談の大家でもありました。
 ともかく明治、大正、昭和と三代に亘って文豪としての名声を輝かされた方ですから、すべての生活動作が凡人のわれわれにはうかがい知れない深い思慮と倫理から出た事柄で、たといそれが先生の独断的な理窟であっても、決して出鱈目《でたらめ》ではなかったのでした。
 あの香り高い先生の文章とともに、あくまで清澄に、強靱《きょうじん》に生き抜かれた先生の芸術家としての一生は、まことに天才の名にそむかぬものでありました。



底本:「書物の王国13 芸術家」国書刊行会
   1998(平成10)年10月25日初版第1刷発行
底本の親本:「日本橋檜物町」中公文庫、中央公論社
   1990(平成2)年8月
入力:川山隆
校正:noriko saito
2007年8月10日作成
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