なども、この辺から絶頂に達する間に自生していた。
 絶頂に達すると、木造の小さな祠《ほこら》があるが、確か不動尊を祀《まつ》ってあるという話しであった、絶頂は別段平地がある訳でもなく、またこの辺には樹は生えていなくて皆草ばかりである、草は少ない方ではないといって宜しかろう、この辺に、タカネオウギの自生しているのを見た、絶頂から少し向うへ下る所まで、木下君と同行したが、此所《ここ》でとうとう同君と分れて、自分は一人となった、その辺にリシリオウギ、ヒメハナワラビ、ミヤマハナワラビなどが生えている。
 この絶頂に立って眺むるというと、東北の方に当っては、宗谷湾が明かに見ることが出来て、白雲がその辺から南の方に棚引いて、広き線を引いておって、幽かに天塩《テシオ》の国の山々を見ることが出来た、西の方は礼文島《レブンとう》を鮮《あざや》かに見ることが出来て、その外にはいわゆる日本海で何にも眼に遮《さえ》ぎるものはなく、ただ時々雲の動くのを見るばかりである、それから今は日本の領地となったのであるが、樺太の方は、この時|朦朧《もうろう》として、何れが山であるか雲であるかを見分ることも出来ない有様であっ
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