を磨《みが》き、人のために尽《つ》くし、国のために務《つと》め、ないしはまた自分のために楽しみ、善人として一生を幸福に送ることは人間として大いに意義がある。酔生夢死《すいせいむし》するほど馬鹿《ばか》なものはない。この世に生まれ来るのはただ一度きりであることを思えば、この生きている間をうかうかと無為《むい》に過《す》ごしてはもったいなく、実に神に対しても申し訳《わけ》がないではないか。
 私はかつて左のとおり書いたことがあった。
「私は草木《くさき》に愛を持つことによって人間愛を養《やしな》うことができる、と確信して疑わぬのである。もしも私が日蓮《にちれん》ほどの偉物《えらぶつ》であったなら、きっと私は、草木を本尊《ほんぞん》とする宗教を樹立《じゅりつ》してみせることができると思っている。私は今|草木《くさき》を無駄《むだ》に枯《か》らすことをようしなくなった。また私は蟻《あり》一ぴきでも虫などでも、それを無残《むざん》に殺すことをようしなくなった。この慈悲的《じひてき》の心、すなわちその思いやりの心を私はなんで養《やしな》い得たか、私はわが愛する草木でこれを培《つちこ》うた。また私は
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