けっして溢言《いつげん》ではないのであろう。
翠色《すいしょく》滴《した》たる草木の葉のみを望んでも、だれもその美と爽快《そうかい》とに打たれないものはあるまい。これが一年中われらの周囲の景致《けいち》である。またその上に植物には紅白紫黄《こうはくしおう》、色とりどりの花が咲き、吾人《ごじん》の眼を楽しませることひととおりではない。だれもこの天から授《さず》かった花を愛せぬものはあるまい。そしてそれが人間の心境《しんきょう》に影響すれば、悪人《あくにん》も善人《ぜんにん》になるであろう。荒《すさ》んだ人も雅《みや》びな人となるであろう。罪人《ざいにん》もその過去を悔悟《かいご》するであろう。そんなことなど思いめぐらしてみると、この微妙な植物は一の宗教である、と言えないことはあるまい。
自然の宗教! その本尊《ほんぞん》は植物。なんら儒教《じゅきょう》、仏教と異なるところはない。今日《こんにち》私は飽《あ》くまでもこの自然宗教にひたりながら日々を愉快《ゆかい》に過《す》ごしていて、なんら不平の気持はなく、心はいつも平々坦々《へいへいたんたん》である。そしてそれがわが健康にも響《ひび》
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