の内の名である。右のゼガイソウは、すなわち善界草《ぜんがいそう》で、これは謡曲《ようきょく》にある赤態《しゃぐま》を着《つ》けた善界坊《ぜんがいぼう》から来た名である。
『万葉集』にこの草を詠《よ》み込んである歌が一つある。すなわちそれは、

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芝付《しばつき》の美宇良崎《みうらざき》なるねつこぐさ、相見ずあらば我《あれ》恋《こ》ひめやも
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 である。そしてこのネツコグサは、ネコグサの意で、オキナグサを指《さ》している。花に白毛が多いので、それで猫草といったものだ。
 このオキナグサは山野《さんや》の向陽地《こうようち》に生じ、春早く開花するので、子女《しじょ》などに親しまれ、その花を採《と》って遊ぶのである。葉は花後《かご》に大きくなる。根は多年生で肥厚《ひこう》しており、毎年その株の頭部から花、葉が萌出《ほうしゅつ》するのである。
 この草はキツネノボタン科に属し、その学名を Anemone cernua Thunb[#「Thunb」は斜体]. とも、また Pulsatilla cernua Spreng[#「Spreng」は斜体]. ともいわれる。そしてその種名の cernua は点頭《てんとう》、すなわち傾垂《けいすい》の意で、それはその花の姿勢《しせい》に基《もと》づいて名づけたものだ。

[#「オキナグサの図」のキャプション付きの図(fig46821_15.png)入る]

     シュウカイドウ

 シュウカイドウ、すなわち秋海棠はもと中国原産の植物である。昔|寛永年間《かんえいねんかん》に日本へ渡り来って、いまは各地に繁殖《はんしょく》しているが、しかし多くは栽《う》えられてある。たまに寺の後庭などに野生《やせい》の姿となっている所があれど、これは元《もと》からの野生ではないけれど、人によってはそこに野生があると疑っていることがある。けれどもそれは、まったく思い違いである。
 日本では、この中国名の秋海棠を音読《おんどく》したシュウカイドウを、そのまま和名《わめい》にしているが、さらにヨウラクソウ(瓔珞草《ようらくそう》の意)、ナガサキソウ(長崎草の意)の別名があれど、一般にはいわない。
 そしてこのヨウラクソウは、花の見立てから来た名、ナガサキソウは、その渡来《とらい》した地に基《もと》づき名づけたものである。本品はシュウカイドウ科に属し、Begonia Evansiana Andr[#「Andr」は斜体]. の学名を有しているが、この Begonia 属のものは温室植物として多くの種類がある。みなその茎葉《けいよう》に酸味《さんみ》を含んでいるが、それは蓚酸《しゅうさん》である。
 秋海棠《しゅうかいどう》は宿根草本《しゅっこんそうほん》であるが、冬は茎《くき》も葉もなく、春に黒ずんだ地中のタマネ、すなわち球茎《きゅうけい》から芽が出て来る。ゆえに一度|栽《う》えておくと、年々生じて開花する。茎《くき》は立って六〇〜九〇センチメートルの高さとなり枝《えだ》を分《わ》かっている。葉は大形で葉柄《ようへい》を具《そな》え、茎《くき》に互生《ごせい》している。その葉面《ようめん》は心臓形で左右不同の歪形《わいけい》を呈《てい》し、他の植物の葉とはだいぶ葉形が異なっている。茎と共《とも》に質が柔《やわ》らかく、元来《がんらい》は緑色なれども、赤味を帯《お》びているから美しい。
 茎《くき》の上部に分枝《ぶんし》し、さらに小梗《しょうこう》に分かれて紅色《こうしょく》の美花《びか》を着《つ》け垂《た》れているが、その花には雄花《ゆうか》と雌花《しか》とが雑居《ざっきょ》して咲いており、雄花《ゆうか》は花中《かちゅう》に黄色の葯《やく》を球形に集めた雄蕊《ゆうずい》があり、雌花《しか》は花下《かか》に三つの翼《よく》ある子房《しぼう》がある。このように、一|株《かぶ》上に雄花《ゆうか》と雌花《しか》とを持っている植物を、植物学上では一|家花《かか》植物と呼んでいる。すなわち雌雄同株《しゆうどうしゅ》植物である。
 中国の書物には、秋海棠《しゅうかいどう》を一に八月春と名づけ、秋色中《しゅうしょくちゅう》の第一であるといい、花は嬌冶柔媚《きょうやじゅうび》で真に美人が粧《よそお》いに倦《う》むに同じと讃美《さんび》している。また俗間《ぞくかん》の伝説では、昔一女子があって人を懐《おも》うてその人至らず涕涙《ているい》下って地に洒《そそ》ぎ、ついにこの花を生じた。それゆえ、この花は色が嬌《あで》やかで女のごとく、よって断腸花《だんちょうか》と名づけたとある。実際にその咲いている花に対せば淡粧《たんしょう》美人のごとく、実にその艶美《えんび》を感得《かんとく》せねば措《お》か
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