ている常緑《じょうりょく》の宿根草《しゅっこんそう》であって、冬に葉のないショウブとはだいぶ異なっている。
 この水に生《は》えていて端午《たんご》の節句《せっく》に用うるショウブは、昔はこれをアヤメといった。そして根が長いので、これを採《と》るのを「アヤメ引く」といった。すなわち古歌《こか》にアヤメグサとあるのは、みなこのショウブであって、今日《こんにち》いう Iris のアヤメではない。右ショウブをアヤメといっていた昔の時代には、この Iris のアヤメはハナアヤメであった。右 Acorus 属であるアヤメの名が消えて、今名《こんめい》のショウブとなると同時に、ハナアヤメの名も消えてアヤメとなった。
 ハナショウブの母種《ぼしゅ》、すなわち原種のノハナショウブは、関西地方ではドンドバナと称するらしいが、今その意味が私には判《わか》らない。人によっては、道祖神《どうそじん》の祭りをトンド祭というとのことであるから、あるいはその時分にノハナショウブが咲くからというので、それでノハナショウブをドンドバナというのかもしれない。ドンドとトンドと多少違いはあるから、あるいはドンドバナはトンドバナというのが本当かも知れない。野州《やしゅう》〔栃木県〕日光の赤沼《あかぬま》の原では、そこに多いノハナショウブをアカヌマアヤメといっている。
 このノハナショウブは、どこに咲いていても紅紫色《こうししょく》一色で、私はまだ他の色のものに出逢《であ》ったことがない。そして花はなかなか風情《ふぜい》がある。

[#「ハナショウブの図」のキャプション付きの図(fig46821_13.png)入る]

     ヒガンバナ

 秋の彼岸《ひがん》ごろに花咲くゆえヒガンバナと呼ばれるが、一般的にはマンジュシャゲの名で通っている。そしてこの名は梵語《ぼんご》の曼珠沙《まんじゅしゃ》から来たものだといわれる。その訳《わけ》は、曼珠沙《まんじゅしゃ》は朱華《しゅか》の意だとのことである。しかしインドにはこの草は生じていないから、これはその花が赤いから日本の人がこの曼珠沙《まんじゅしゃ》をこの草の名にしたもので、これに華を加えれば曼珠沙華《まんじゅしゃげ》、すなわちマンジュシャゲとなる。そして中国名は石蒜《せきさん》であって、その葉がニンニクの葉のようであり、同国では石地《せきち》に生じているので、それで右のように石蒜《せきさん》といわれている。
 本種はわが邦《くに》いたるところに群生《ぐんせい》していて、真赤な花がたくさんに咲くのでことのほか著《いちじる》しく、だれでもよく知っている。毒草《どくそう》であるからだれもこれを愛植《あいしょく》している人はなく、いつまでも野の草であるばかりでなく、あのような美花《びか》を開くにもかかわらず、いつも人に忌《い》み嫌《きら》われる傾向を持っている。
 とにかく、眼につく草であるゆえに、諸国で何十もの方言《ほうげん》がある。その中にはシビトバナ、ジゴクバナ、キツネバナ、キツネノタイマツ、キツネノシリヌグイ、ステゴグサ、シタマガリ、シタコジケ、テクサリバナ、ユウレイバナ、ハヌケグサ、ヤクビョウバナなどのいやな名もあるが、またハミズハナミズ、ノダイマツ、カエンソウなどの雅《みや》びな名もある。そしてその学名を Lycoris radiata Herb[#「Herb」は斜体]. といい、ヒガンバナ科に属する。右種名の radiata は放射状《ほうしゃじょう》の意で、それはその花が花茎《かけい》の頂《いただき》に放射状、すなわち車輪状をなして咲いているからである。
 野外で、また山面で、また墓場で、また土堤《どて》などで、花が一時に咲き揃《そろ》い、たくさんに群集して咲いている場合はまるで火事場のようである。そしてその咲く時は葉がなく、ただ花茎《かけい》が高く直立していて、その末端《まったん》に四、五|花《か》が車座《くるまざ》のようになって咲き、反巻《はんかん》せる花蓋片《かがいへん》は六数、雄蕊《ゆうずい》も六数、雌蕊《しずい》の花柱《かちゅう》が一本、花下《かか》にある。下位子房《かいしぼう》は緑色で各|小梗《しょうこう》を具《そな》えている。
 ここに不思議《ふしぎ》なことには、かくも盛《さか》んに花が咲き誇《ほこ》るにかかわらず、いっこうに実を結ばないことである。何百何千の花の中には、たまに一つくらい結実してもよさそうなものだが、それが絶対にできなく、その花はただ無駄《むだ》に咲いているにすぎない。しかし実ができなくても、その繁殖《はんしょく》にはあえて差しつかえがないのは、しあわせな草である。それは地中にある球根(学術上では鱗茎《りんけい》と呼ばれる)が、漸々《ぜんぜん》に分裂して多くの仔苗《しびょう》を作るから
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