草木の栄枯盛衰《えいこせいすい》を観《み》て、人生なるものを解《かい》し得たと自信している。
 これほどまでも草木《くさき》は人間の心事《しんじ》に役立つものであるのに、なぜ世人《せじん》はこの至宝《しほう》にあまり関心を払《はら》わないであろうか。私はこれを俗に言う『食わず嫌《ぎら》い』に帰《き》したい。私は広く四方八方の世人《せじん》に向こうて、まあ嘘《うそ》と思って一度味わってみてください、と絶叫《ぜっきょう》したい。私はけっして嘘言《きょげん》は吐《は》かない。どうかまずその肉の一臠《いちれん》を嘗《な》めてみてください。
 みなの人に思いやりの心があれば、世の中は実に美しいことであろう。相互《そうご》に喧嘩《けんか》も起こらねば、国と国との戦争も起こるまい。この思いやりの心、むずかしく言えば博愛心、慈悲心、相愛心があれば世の中は必ず静謐《せいひつ》で、その人々は確《たし》かに無上の幸福に浴《よく》せんこと、ゆめゆめ疑いあるべからずだ。
 世のいろいろの宗教はいろいろの道をたどりてこれを世人《せじん》に説《と》いているが、それを私はあえて理窟《りくつ》を言わずにただ感情に訴《うった》えて、これを草木で養《やしな》いたい、というのが私の宗教心でありまた私の理想である。私は諸処の講演に臨《のぞ》む時は機会あるごとに、いつもこの主意で学生等に訓話《くんわ》している」
 また私は世人が植物に趣味を持てば次の三|徳《とく》があることを主張する。すなわち、
 第一に、人間の本性が良くなる。野に山にわれらの周囲に咲き誇《ほこ》る草花《くさばな》を見れば、何人《なんびと》もあの優《やさ》しい自然の美に打たれて、和《なご》やかな心にならぬものはあるまい。氷が春風に融《と》けるごとくに、怒《いか》りもさっそくに解《と》けるであろう。またあわせて心が詩的にもなり美的にもなる。
 第二に、健康《けんこう》になる。植物に趣味を持って山野《さんや》に草や木をさがし求むれば、自然に戸外《こがい》の運動が足《た》るようになる。あわせて日光浴《にっこうよく》ができ、紫外線《しがいせん》に触《ふ》れ、したがって知《し》らず識《し》らずの間に健康が増進せられる。
 第三に、人生に寂寞《じゃくまく》を感じない。もしも世界中の人間がわれに背《そむ》くとも、あえて悲観するには及ばぬ。わが周囲にある草木《くさき》は永遠の恋人としてわれに優《やさ》しく笑《え》みかけるのであろう。
 惟《おも》うに、私はようこそ生まれつき植物に愛を持って来たものだと、またと得がたいその幸福を天に感謝している次第《しだい》である。



底本:「植物知識」講談社
   1981(昭和56)年2月10日第1刷発行
   1993(平成5)年10月20日第22刷発行
底本の親本:「四季の花と果実」教養の書シリーズ、逓信省
   1949(昭和24)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本には、復刻するに当って「寸尺などをメートル法に換算された」と記載されています。
※図版は、各項目の末尾に置きました。
入力:川山隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月17日作成
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