ところが日本の諸学者はだれでも百合はササユリ(学名は Lilium Makinoi Koidz[#「Koidz」は斜体].)であるといっている。しかしササユリは、日本の特産で中国には産しないから、もとよりこのユリに中国名の百合の名があるわけはない。この一点をもってしても、ササユリが百合ではないことが判《わか》る。そして日本ではなお百合をユリの総名のように思っており、ユリといえばよく百合と書いているが、それはまったく間違っている。
 日本産のユリには多くの種類があれども、一つも百合に当たるものはない。ゆえに百合を、日本のいずれのユリにも、それに対して用いてはならない。世間《せけん》の女の子によく百合子があるが、これは正しい書き方ではない。ゆえにユリコといいたければ、仮名《かな》でユリ子と書けば問題はないことになる。
 右のような次第《しだい》だから、実を言えば、百合の字面を日本のユリからは追放《ついほう》すべきもので、ユリの名はその語原がまったく不明である。また昔はユリをサイといったらしいが、これもその語原がわからない。しかしユリの想像語原では、ユリの茎《くき》が高く延《の》びて重たげに花が咲き、それに風が当たるとその花が揺《ゆ》れるから、それでユリというのだ、といっていることがある。
 ユリの諸種はみな宿根草《しゅっこんそう》である。地下に鱗茎《りんけい》(俗にいう球根)があって、これが生命の源《みなもと》となっている。すなわち茎葉《けいよう》は枯《か》れても、この部はいつまでも生きていて死なない。
 右、鱗茎《りんけい》は白色、あるいは黄色の鱗片《りんぺん》が相重《あいかさ》なって成《な》っているが、この鱗片《りんぺん》は実は葉の変形したものである。そして地中で養分を貯《たくわ》えている役目をしているから、それで多肉《たにく》となり、多量の澱粉《でんぷん》を含んでいる御蔵《おくら》をなしているが、それを人が食用とするのである。右の鱗片が相擁《あいよう》して塊《かたま》り、球をなしているその球の下に叢生《そうせい》して鬚状《ひげじょう》をなしているものが、ユリの本当の根である。そしてなお鱗茎《りんけい》から出ている一本の茎《くき》にも、その地中部には真の根が横出《おうしゅつ》して生《は》えている。
 茎《くき》は鱗茎《りんけい》、すなわち球根から一本|出《い》で
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