首《すうしゅ》を次に挙《あ》げてみよう。
[#ここから2字下げ]
ほととぎす厭《いと》ふときなしあやめぐさ
かづらにせん日|此《こ》ゆ鳴きわたれ
ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ
玉に貫《ぬ》く日をいまだ遠みか
あやめぐさひく手もたゆくながき根の
いかであさかの沼に生《お》ひけむ
ほととぎす鳴くやさつきのあやめぐさ
あやめも知らぬ恋もするかな
[#ここで字下げ終わり]
などがある。さてこの歌にあるアヤメグサ、すなわちアヤメは、ショウブすなわち白菖《はくしょう》のことである。(世間《せけん》一般に今ショウブと呼んでいる水草《みずくさ》を菖蒲と書くのは間違いで、菖蒲は実はセキショウの中国名である。ショウブの名はこの菖蒲から出たものではあれど、それは元来《がんらい》は間違いであることをわきまえていなければならない。)そして前の Iris 属のハナアヤメとは、まったく違った草である。
昔、右のショウブをアヤメといっていた時代には、今の Iris 属のアヤメは、前記のとおりハナアヤメといって花を冠《かん》していたが、ショウブに対するアヤメの名が廃《すた》れた後は、単にアヤメと呼ぶようになり、これが今日《こんにち》の通称となっている。すなわち白菖《はくしょう》がアヤメであった時は、今日《こんにち》のアヤメがハナアヤメであったが、アヤメの名がショウブとなるに及《およ》んで、ハナアヤメがアヤメとなり、時代により名称に変遷《へんせん》のあったことを示している。
あまねく人の知っているかの潮来節《いたこぶし》の俚謡《りよう》に、
[#ここから2字下げ]
潮来出島《いたこでじま》のまこもの中にあやめ咲くとはしおらしい
[#ここで字下げ終わり]
というのがある。この謡《うた》はその中にあるアヤメがこんがらかって、ウソとマコトとで織《お》りなされている。すなわちこの謡《うた》の作者は、謡《うた》のアヤメを美花《びか》の咲く Iris のアヤメとしているけれど、この Iris のアヤメは、けっして水中に生《は》えているマコモの中に咲くことはない。そしてこのアヤメは陸草《りくそう》だから水中には育たない。マコモといっしょになって生《は》えている水草のアヤメは、古名《こめい》のアヤメで今のショウブのことであるから、これならマコモの中にいっしょに生《は》えていても、
前へ
次へ
全60ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング