。そこで私の実検上からの観察では、これは葉腋《ようえき》にある芽を擁《よう》しているその鱗片《りんぺん》の最外《さいがい》のものが大いに増大し、大いに強力となってついにトゲにまで進展発育したものにほかならなく、それはそのトゲの位置がそれをよく暗示しているので、これは動かし難《がた》いものである、と私は自分で発見したこの自説を固守《こしゅ》している次第《しだい》だ。
よく世人《せじん》はタチバナ(橘の字を当てているが、実は橘はクネンボの漢名であってタチバナではない)ということをいうが、それはタチバナとはどのミカンを指《さ》したものかというと、いま確説をもっていうことはできぬが、たぶん今日《こんにち》いうキシュウミカン、一名コミカンのようなミカンをいったものではなかろうかと思われる。
かの昔、田道間守《たじまもり》が常世《とこよ》の国(今どこの国かわからぬが、多分中国の東南方面のいずれかの地であったことが想像せられる)から持って帰って来たというもので、それはむろん食用に供すべきミカンの一種であったわけだ。その当時はむろん日本ではまことに珍しいものであったに相違《そうい》ない。そしてそのタチバナの名は、その常世《とこよ》の国からはるばると携《たずさ》え帰朝《きちょう》した前記の田道間守《たじまもり》の名にちなんで、かくタチバナと名づけたとのことである。
珍しくも日本の九州、四国、ならびに本州の山地に野生《やせい》しているミカン類の一種に、通常タチバナといっているものがある。黄色の小さい実がなるのだが、果実が小さい上に汁《しる》が少なく種子が大きく、とても食用の果実にはならぬ劣等至極《れっとうしごく》なミカンである。これを栽植《さいしょく》したものが時折《ときおり》神社の庭などにあるのだが、そんな場合、多少実が大きく、小さいコウジの実ぐらいになっているものもあれど、食用果実としてはなんら一顧《いっこ》の価値だもないものである。
世人《せじん》はタチバナの名に憧《あこが》れて勝手にこれを歴史上のタチバナと結びつけ、貴《とうと》んでいることがあれど、これはまことに笑止千万《しょうしせんばん》な僻事《ひがごと》である。かの京都の紫宸殿《ししんでん》前の右近《うこん》の橘《たちばな》が畢竟《ひっきょう》この類にほかならない。そしてこんな下等な一小ミカンが前記歴史上のタチバナ
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