民部卿知家
吹たびに水を手向る柳かな 米冠
[#ここで字下げ終わり]
と書いてある。
また同書蛇柳の図の上方に、「我目《わがめ》にも柳と見へて涼しさよ」麦林 の俳句と、「ともすればたけなる髪をふりみだし人の気をのむ風の蛇柳」栗陰亭 との狂歌が記してある。
昭和三年(1928)三月発行の『植物研究雑誌』第五巻第三号に「じゃやなぎノ名ノ起リ」と題し、久内清孝《ひさうちきよたか》君がこのヤナギについて「此世からさへ嫌はれて深く心を奥の院渡らぬ先に渡られぬみめうの橋の危うさも後世のみせしめ蛇柳や」(巣林子《そうりんし》『女人堂高野山心中万年草《にょにんどうこうやさんしんじゅうまんねんぐさ》』)の書き出しで、いろいろと書いていられる。それへこのヤナギ研究に縁ある白井光太郎博士自筆の蛇柳原稿図も添えてある。
以前高野山で植物採集会が催された時、その指導者として私も行ったのだが、その折私は同山幹部のある僧に向かってこの蛇柳の由来をたずねてみたら、その答えに「昔高野山の寺の内に一人の僧があって陰謀を回らし、寺主の僧の位置を奪い自らその位に据らんと企
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