出すけれど、このヤマユリの名は近代において普通に幅を利かすようになったものである。それ以前は前記の通り料理ユリなどの名で呼んでいたのである。また徳川時代に出版になった『訓蒙図彙《きんもうずい》』や『絵本野山草《えほんのやまぐさ》』などにはオニユリ(巻丹)、ヒメユリ(山丹)、スカシユリ、カノコユリなどはあっても右のヤマユリの図は出ていない。
 このヤマユリは万葉歌とは全く関係はない。万葉歌と縁のあるものは主としてササユリ、オニユリ、ヒメユリである。多分コオニユリも見逃されないものであろう。
 ヤマユリは日本の特産で無論中国にはないから、昔の日本の学者がいうようにこれを天香百合とするのはもとよりあたっていない。

  アケビと※[#「くさかんむり/開」、16−11]

 人皇五十九代|宇多《うだ》天皇の御宇、それは今から一一〇五年の昔|寛平《かんぴょう》四年(892)に僧|昌住《しょうじゅう》の作った我国開闢以来最初の辞書『新撰字鏡《しんせんじきょう》』に「※[#「くさかんむり/開」、16−13]、開音山女也阿介比又波太豆」と書いてある。昌住坊さんなかなかサバケテいる。
 大正六年に東京の
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