「潮来出島《いたこでじま》の真菰《まこも》の中であやめ咲くとはしほらしや」というのがある。今この原謡を『潮来図誌』で見ると、その末句の方が「あやめ咲くとはつゆしらず」となっている。
 私は先きにこの謡を科学的に批評してみた。すなわちそれは昭和八年(1933)十一月に、東京の春陽堂で発行した『本草』第十六号の誌上であった。
 全体アヤメにはじつは昔のと今のとの二つの植物があるので、この謡のアヤメがぐらついているところを探偵し、目を光らかした私の筆先きにチョッと来いと捕えられて、初の法廷でその黒白が裁判せられた。その判決によると、この謡は無罪とは行かなかった。しかしこれまで久しい年月の間これを摘発してその欠点を暴露せしめた人はなかったが、それの初任の裁判官は私であった。
 この謡の中にあるアヤメは元来何を指しているのかというと、それはこれまで皆の衆が思っているようにアヤメ科なる Iris 属[#「属」に「ママ」の注記]のアヤメ(従来日本の学者はこのアヤメを渓※[#「くさかんむり/孫」、第3水準1−91−17]《ケイソン》だとしているがそれはもとより誤りだ)を指したもんだ。そしてじつはこの美
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