た田に往々低い茎のあるいは立ちあるいは横斜したヤナギタデが越冬して残り、田面をわたる東風に揺れつつ早くも開花結実しているのを見かけるが、これはなんら他の種ではなく、別になんらの名を設ける必要もなく、やはりそれは Polygonum Hydropiper L[#「L」は斜体]. にほかならない。私は前々から時々これに出会っているからよくその委細を呑みこんでいる。軽率な人はこれを別種のものとしているが、それはけっして穏健な意見ではない。

[#「カワタデ一名ミゾタデ(飯沼慾斎著『草木図説』)」のキャプション付きの図(fig46820_12.png)入る]

  ボントクタデ

 ボントクタデ、ちょっと意味の分りかねるおかしな名前の蓼なので、私は久しい間なんとかその訳が知れんもんかと思っていた。
 以前備中で植物採集会があって、私は集まった会員を指導しつつ野外の地を歩いた。その時はちょうど秋であって、折りから路傍にあったこの蓼をボントクタデといって会員に教えた。ところが会員がしきりにクスクス笑うので不審に思い、その訳を聴きただしてみたところ、会員の一人が言うには、この辺ではポンツクのことをボントクというのだと答えた。私はははあ成るほどとこれを聴き、初めてボントクの意味が判かり大いに啓発せられたことを悦んだ。すなわちそれは蓼は辛い味のものだと相場が極まっているが、この蓼は一向に辛くないので馬鹿タデすなわちポンツクタデの意で、それでボントクタデだということが初めてこの会のとき明瞭となった訳だ。ただしひとりその実を包む宿存萼には特に辛味があるので、この点は僅かにポンツクを逃れて本当の蓼らしいのが面白い。
 しかしこの蓼はその味からいえばポンツクだが、その姿からいえばまことに雅趣掬すべき野蓼で、優に蓼花の秋にふさわしいものである。茎は日に照り赤色を呈して緑葉と相映じ、枝端に垂れ下がる花穂の花は調和よく紅緑相雑わり、それが水辺に穂を垂れている風姿はじつに秋のシンボルであって、他の凡蓼の及ぶところではない。私はこの蓼がこの上もなく好きである。あまり好きなので柄にもなく左の拙吟を試みてみたが、無論落第ものの標本であろう。

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紅緑の花咲く蓼や秋の色
水際に蓼の垂り穂や秋の晴れ
我が姿水に映つして蓼の花
一川の岸に穂を垂る蓼の秋
秋深けて冴え残りけり蓼の花
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[#「ボントクタデ(飯沼慾斎著『草木図説』の図)(下方の花穂の一部ならびに果実の二つは牧野補入)」のキャプション付きの図(fig46820_13.png)入る]

  婆羅門参

 キク科の一植物に、我国植物界で婆羅門参、すなわちバラモンジンと呼んでいる南欧原産の越年草があって Tragopogon porrifolius L[#「L」は斜体]. の学名を有する。そしてこれを一つにムギナデシコというのであるが、これはその緑の葉が軟くて長くてあたかも麦の葉のようで、そしてその紫色の花をナデシコのに擬したものである。このムギナデシコの名はふるく徳川時代の嘉永年間頃に出来たものだが、このムギナデシコに対しての名のバラモンジンは新しく明治年間に付けたもののようだ。私の知るところでは明治八年に発行になった田中芳男《たなかよしお》、小野職※[#「殻/心」、59−7]《おのもとよし》増訂の『新訂草木図説』にこの名が初めて出ているから、多分あるいはその頃に用い始めたものであろうか。そして右田中、小野の両氏がどこからこの名を釣出して来たのか、今私には不明である。彼のロブスチード氏の『英華字典』などにもそんな名は見付からない。私はその出典が知りたいのだが、そのうちどこかから捜し出してみようと思っている。もしも誰か御承知の御方があれば私の蒙を啓いていただきたい。
 元来この Tragopogon porrifolius L[#「L」は斜体]. をバラモンジンと名づけたのは不穏当であった。何んとなれば婆羅門参はヒガンバナ科のキンバイザサすなわち仙茅《センボウ》の一名であるからである。李時珍《りじちん》の『本草綱目』によれば、仙茅の条下に「始メ西域ナル婆羅門ノ僧、方ヲ玄宗ニ献ズルニ因テノ故ニ、今江南ニテ呼ンデ婆羅門参卜為ス、言フコヽロハ其功ノ補スルコト人参ノ如ケレバナリ」(漢文)と述べている。すなわち婆羅門参の由来はこの如くであって、それはキンバイザサの名にほかならない。
 このムギナデシコは欧州では Salsify, Vegetable−Oyster(植物|牡蠣《カキ》)Oyster−Plant(牡蠣植物)Oyster−root(牡蠣根)Purple Goat's−beard(紫山羊髯《ムラサキヤギヒゲ》)Jerusalem Star(「エルサレム」ノ星)Nap−at−
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