樹をホルトノキ(ホルトガルノ木の略)と濫称しているが、それは大変な誤りだ。そしてこのヅクノキをオリーブと間違えるなんて当時の学者の頭はこの上もなく疎漫で鑑定眼の低かったことが窺われる。ヅクノキの葉は互生で鋸歯があり裏面が淡緑色であるから、オリーブの葉の対生で全辺で裏面が白色であることと比較すれば直ぐその違いが判るのではないか。無論オリーブとヅクノキとは科も異なりオリーブは合弁花を開くヒイラギ科に属し、ヅクノキは離弁花のヅクノキ科に隷《れい》する。そしてオリーブは地中海小アジア地方の原産で東洋には全く産しなく、したがってこれを中国の橄欖にあてるのはこの上もない間違いである。しかしそれをどうして間違えたのかというと、その果実の外観から西洋人はその橄欖を China Olive と呼んでいるもんだから、中国で『バイブル』初刊本の『旧約全書』(清国同治二年すなわち我が文久三年西暦1863年に江蘇滬邑美華書館刊行)を中国の学者が訳する際にそうしたもんだ。すなわちその文章は創世記の条下に「又待至七日。復放鴿出舟。及暮。鴿帰就揶亜。口啣橄欖新葉。揶亜知水已退於地」とあり、そしてその誤訳の文字が間もなく我国に伝わったのである。早くも明治十二年(1879)に植物学者の田代安定《たしろあんてい》君が当時博物局発行の『博物雑誌』第三号でその誤謬を喝破している。けれどもなお今日でもその余弊から脱し切れずに文学者などは往々橄欖の語を使い、また坊間の英和辞書などでもよく Olive に橄欖の訳語が用いられている。誠に学問の進歩に対し後れ返ったことどもで、日は最早や午に近く高う昇っているから早く灯火を消したらどうだ!
冬の美観ユズリハ
ユズリハはその葉片にも無論美点はあるが、冬に至るとその太き長き葉柄が殊のほか紅色を呈して美わしくなる。葉片と枝とは緑色であるからこれに反映しての葉柄美は特に目立ち、ユズリハは全く冬の植物であることを想わせる。葉柄の前側には狭長な縦溝路があり、葉は質が鈍厚で表面は緑色を呈するが、裏面は淡緑色で常に或る菌類が寄生し、諦視すると細微な黒点を散布している。またある白色黴の菌糸が模様的に平布して汚染《しみ》のように見える、すなわちこれらがその葉の裏面の状態である。詳かに検して見るとなかなか興味のあるものである。
ユズリハは譲り葉で、その時季に際すれば旧葉が枝から謝すれば、早速その上方に新葉が萌出して旧葉に代わるからそういわれる。タブノキなどの葉でも矢張り同じく新陳代謝はするが、その中にもユズリハが最も目立って著明である。
正月にユズリハを飾るのは譲るの意である、すなわち親は身代を子に譲り、子はまた身代を孫に譲り、もって子々孫々相襲いで一家を絶させんようにと祈ったものだ。
ユズリハの葉は大形常緑で、その中脈は葉の上面にも隆起するが、しかし殊に下面に著しい、支脈は多数で羽状に並んでいる。
ユズリハの枝を取りそれを上方より望み見ればその葉が車輪状に四方に拡がり出で、したがってその赤き葉柄も四方に射出して見え、外方は緑葉、内方は赤葉柄で特に美しく眺められ棄てたものではないと感ずる。
ユズリハは諸州の山地に自生があるが、また庭樹としても植えられてある。また葉柄は時に淡紅色のものもあればまた淡緑色のものもある。この淡緑色の品をアオユズリハと称する。
正月にユズリハを飾るのは、譲るの意で、親は子に譲り、子は孫に譲り、子々孫々相襲いで一家を絶えさせんようにと祈ったものである。この点からみるとユズリハは芽出度い木である。松竹梅に伴わさしてもよかろう。
私の庭には今二本のユズリハの木があるが、その葉が美わしく茂って、万歳を寿ほぎしているかのように見える。
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序文に代う
一日一題禿筆を呵し、百日百題凡書成る、書成って再閲又三閲、瓦礫の文章菲才を恥ず。
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昭和二十一年八月十七日より稿し初め、一日に必ず一題を草し、これを百日欠かさず連綿として続け、終に百日目に百題を了えた。
昭和二十八年二月
結網学人
牧野富太郎識るす
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底本:「植物一日一題」博品社
1998(平成10)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「随筆 植物一日一題」東洋書館
1953(昭和28)年3月
※底本は、「保土ヶ谷町」のそれをのぞいて、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:松永正敏
2007年12月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http:/
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