を公にしておいたことがあった。それは昭和二年(1927)十二月三十一日発行の『植物研究雑誌』第四巻第六号での「やまのいもハ薯蕷デモ山薬デモナイ」であった。
 山薬といい野山薬というと、その字面から推量して軽々にこれを薬食いにもなるヤマノイモのことだと極めているが、しかしこの山薬も野山薬も、家山薬とともに薯蕷すなわちナガイモ(Dioscorea Batatas Decne[#「Decne」は斜体].)の一名で、この山薬も野山薬もけっしてヤマノイモ(Dioscorea japonica Thunb[#「Thunb」は斜体].)の名ではない。そしてヤマノイモにはなんらの漢名もないのである。それはこの植物が中国には産しないようだからであろう。
 全体ナガイモの薯蕷を山薬といった理由はいかん。それは唐の代宗の名が預であるので、当時その諱を避けて薯蕷を薯薬と変更した。ところが後ちまた宋の英宗《えいそう》の諱が署であるため、今度は再びその薯薬を改めて山薬としたのである。つまりナガイモの元の名の薯蕷が薯薬に変りこの薯薬が山薬となったのである。そしてその山薬(ナガイモ)の野生しているものが野山薬、すなわちナガイモで、家圃につくられてあるものが家山薬、すなわちツクリナガイモである。
 薯蕷の野生しているものはみなその根が地中へ直下してその形が長いから、それでナガイモ(長薯の意)といわれ、植物学上ではそれを Dioscorea Batatas Decne[#「Decne」は斜体]. の和名としてナガイモとは呼んでいるが、しかし園圃に栽培せられて同種の中には無論長形(あまり長くはない)の品もあるが、その園芸品には根形が短大になっているものが常形で、それにはツクネイモをはじめとしてヤマトイモ、キネイモ、テコイモ、イチョウイモ、トロイモなど数々がある。
 前にも書いたが、昔から山ノイモが鰻になるという諺があって、それが寺島良安の『倭漢三才図会』に書いてある。しかしこれはまじめなこととは誰も信じていないだろうが、中にはまた半信半疑でいる人がないとも限らない。がこれはもとより実際にはあり得べからざることであるのはもちろんだ。しかるにこんな話をつくったのは、多分鰻も精力増進の滋養品、山ノイモもまた同じくヌルヌルとした補強品、そして同様に体が長いから、それで上のようなことを言ったのではなかろうかと想像する。
 今は妻のない私に、千葉県の蕨橿堂君から体の滋養になるとて土地で採ったヤマノイモを贈って来た。そこで早速次の歌をつくり答礼の手紙に添えて同君のもとへ送ったことがあった。

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精力のやりばに困る独り者、亡き妻恋しけふの我が身は
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  ヒマワリ

 中国の『秘伝花鏡《ひでんかきょう》』という書物に

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向日葵、一名ハ西番葵、高サ一二丈、葉ハ蜀葵ヨリモ大、尖狭ニシテ刻欠多シ、六月ニ花ヲ開ク、毎幹頂上ニ只一花、黄弁大心、其形盤ノ如シ、太陽ニ随テ回転ス、如《モ》シ日ガ東ニ昇レバ、則チ花ハ東ニ朝《ムカ》ヒ、日ガ天ニ中スレバ、則チ花ハ直チニ上ニ朝《ムカ》ヒ、日ガ西ニ沈メバ、則チ花ハ西ニ朝フ(漢文)
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とある。ヒマワリすなわち日回の名も向日葵の名も、こんな意味で名づけられたものである。が、しかしこの花はこの文にあるように日に向かって回ることはけっしてなく、東に向かって咲いている花はいつまでも東に向っており、西に向かって咲いている花はいつまでも西向きになっていて、敢て動くことがない。ウソだと思えば花の傍に一日立ちつくして、朝から晩まで花を見つめておれば、成るほどと初めて合点がゆき、古人が吾らを欺いていたことに気がつくであろう。しかし花がまだ咲かず、それがなお極く嫩《わか》い蕾のときは蕾をもった幼嫩《ようどん》な梢が日に向かって多少傾くことがないでもないが、これは他の植物にも見られる普通の向日現象で、なにもヒマワリに限ったことではない。しかしとにかく世間では反対説を唱えて他人の説にケチを付けたがる癖があるので、このヒマワリの嫩梢が多少日に傾く現象を鬼の首でも取ったかのように言い立てて、ヒマワリの花が日に回らぬとはウソだというネジケモノが時々あるようだが、しかしついに厳然たる事実には打ち勝てないで仕舞いはついに泣き寝入りサ。
 西洋ではヒマワリのことを Sun−flower すなわち太陽花とも日輪花とも称えるが、それはその巨大な花を御日イサマになぞらえたものだ。明治五、六年頃に発行せられた『開拓使官園動植品類簿《かいたくしかんえんどうしょくひんるいぼ》』にはニチリンソウと書いてあり、国によっては日車の名もある。そしてその頭状花の周縁に射出する多数の舌状弁花をその光線に見立ったものだ。じ
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