シャギシャギはするが塩味があって存外食べられる。そして海藻の香はあるが、別に特別な味はない。次いでこれを酢醤油に漬けて味わってみたが、そうするとたちまちミルが多少縮め気味で硬わばり、かえって生食するよりは不味を感ずる。それはちょうど『越後名寄《えちごなよせ》』に記してある通りである。このように私は生まれて初めてミルを味わってみたが、あまり感心する品ではなく、まず昔からのことを回想し趣味としてこれを口にする程度のものである。
 ミルの語原は不明だといわれているが、私の愚劣な考えでは、それはあるいはビルもしくはビロから転訛したものであろうと思われる。すなわち生鮮なミルを静かに振ってみると弾力があって、ビルビルビロビロとするから、そのビルあるいはビロが音便によってついにミルになったのではなかろうかと想像するが、どんなもんだろうか。
 ミル属(Codium)には多くの品種があって、いずれも食用になるのであろう。昭和九年(1934)六月に東京の三省堂で出版した岡田|喜一《よしかず》君の『原色海藻図譜』によれば、次の種類が原色写真で出ているからそれらを知るには極めて便利である。すなわちハイミル、ヒゲミル、ネザシミル、サキブトミル、ナガミル、クロミル、ミル、モツレミル、タマミル、ヒラミル、コブシミル、ならびにイトミルの十二品が挙がっているが、その中でナガミルは岡山でクヅレミル、阿波でサメノタスキ、相模でアブラアブラというとある。同じく昭和九年十月に東京の誠文堂で発行した東《ひがし》道太郎君の『原色日本海藻図譜』にはナガミルの条下に「邦産十数種種のミル中最も長大なものであって全長四十五尺に達するものもある」、「九州より千葉県に至る太平洋岸に産する、殊に湾入せるところの四五尋の深所に多い、真珠貝の養殖場に繁殖し長大なる体は真珠貝を覆い死に至らしむる事があると云われて居る」と書いてある。ヒラミルは国によりラシャノリといわれる。

  楓とモミジ

 中国の有名な詩人である杜牧《とぼく》が詠じた「山行」の詩に

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遠[#(ク)]上[#(レバ)][#二]寒山[#(ニ)][#一]石径斜[#(ナリ)]、白雲生[#(ズル)]処有[#(リ)][#二]人家[#一]、
停[#(メテ)][#レ]車[#(ヲ)]坐[#(ロニ)]愛[#(ス)]楓林[#(ノ)]晩、霜葉[#(ハ)]紅[#(ナリ)][#レ]於[#(ヨリモ)][#二]二月[#(ノ)]花[#一]、
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 というのがあって、ふるくから普く人口に膾炙している。
 諸君御覧の通りこの詩中に楓がある。日本人はこれを Acer すなわち Maple のカエデすなわちモミジであるとして疑わず、日本の詩人はみなそう信じている。しかし豈《あに》はからんや楓はけっしてカエデすなわちモミジではなく、全然違った一種の樹木で、カエデとはなんの縁もない。しかるにここに興味あることは、この楓をカエデとする滔々たる世の風潮に逆らってそれはカエデではないと初めて喝破し否定した貝原益軒があって、宝永六年(1709)に出版になった彼の著『大和本草』に「本邦楓ノ字ヲアヤマリテカヘデトヨム」と書き、また「楓ヲカヘデト訓スルハアヤマレリカヘデハ機樹也」とも書いている。しかし楓をカエデではないと否定する益軒の卓見には賛成だが、翻ってこの楓を古名ヲガツラ、すなわち今日いうカツラ(Cercidiphyllum japonicum Sieb[#「Sieb」は斜体]. et Zucc[#「et Zucc」は斜体].)とするのには不賛成であって、楓はけっしてカツラではない。また益軒はカエデを機樹と書いているが、その由るところの根拠全く不明であり、とにかく機の字にはカエデの意味はない。
 楓はマンサク科に属し Liquidambar formosana Hance[#「Hance」は斜体] の学名を有する落葉喬木である。その葉は枝に互生して三裂し、実は球状で柔刺があり毬彙《イガ》の状を呈している。中国ではこの実を焚いて香をつくるとある。またこの樹の脂を白膠香《ビャクキョウコウ》というともある。
 楓は台湾に多く生じまた中国にも産するが、その他の国には見ない。秋になるとカエデと同様紅葉するが、しかしカエデほど優美ではない。陳※[#「温」の「皿」に代えて「俣のつくり−口」、第4水準2−78−72]子《ちんこうし》の『秘伝花鏡《ひでんかきょう》』に「一タビ霜ヲ経ル後ニハ、葉ハ尽ク皆赤シ、故ニ丹楓ト名ヅク、秋色ノ最モ佳ナル者、漢ノ時殿前ニ皆楓ヲ植ユ、故ニ人、帝居ヲ号シテ楓宸ト為ス」と叙してある。
 楓はその枝条が弱く、よく風に吹かれて揺ぐから楓の字が書いてあるといわれている。そうするとこの樹の和名をカゼカエデとでもしたらどんなも
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