船で遡り行くとき下り行くとき見られる。人家にあるムクゲの常品は紅紫花一重咲のものだが、なおほかに純白花品、白花紅心品、紅紫八重咲品、白八重咲品等種々な変わり品があるが、こんな異品をひとところに蒐めて作りその花を賞翫しつつ槿花亭の風雅な主人となった人をまだ見たことがない。
ムクゲは木槿の音転である。なおこれにはモクゲ、モッキ、ハチス、キハチス、キバチ、ボンテンカなどの方言がある。
蕣の字音はシュンである。世間往々よくこの字をかの花を賞する Pharbitis Nil Choisy[#「Choisy」は斜体] のアサガオだとして用いる人があるが、それはもとより間違いで、この蕣は木槿すなわちムクゲの一名であり、かの『詩経《しきょう》』には「顔如蕣華」とある。面白いのはムクゲの一名として朝開暮落花の漢名のあることである。今これを和名に訳せばアサザキクレオチバナである。また藩籬草《ハンリソウ》の一名もあるが、これはムクゲがよく生籬になっているからである。
万葉の歌にハネズ(唐棣花)という植物が詠みこまれてある。すなわち『万葉集』巻四の「念はじと曰ひてしものを唐棣花色《はねずいろ》の、変《うつろ》ひやすきわが心かも」、同巻八の「夏まけて咲きたる唐棣花《はねず》久方《ひさかた》の、雨うち降らば移《うつ》ろひなむか」、同巻十一の「山吹《やまぶき》のにほへる妹が唐棣花色《はねずいろ》の、赤裳《あかも》のすがた夢《いめ》に見えつつ」、同巻十二の「唐棣花色《はねずいろ》の移ろひ易き情《こころ》あれば、年をぞ来経《きふ》る言《こと》は絶えずて」などがこれであって、このハネズをニワザクラ(イバラ科)だという歌人もあれば、またそれはニワウメ(イバラ科)だと称える歌人もある。またそれはモンレン(モクレン科)だと異説を唱える歌人もいるが、今はまずニワウメ説が通っているようである。しかしこれをそうして取り極めねばならんなんらの確証は無論そこに何もなく、ただ空想でそういっているに過ぎない。そしてハネズなる名称はとっくに既にこの世から逸し去って今日に存していないのである。ところが或る昔の学者の一人は、それは木槿のムクゲすなわちハチス(アオイ科)だと唱えている。すなわちそれは正しいか否か分らんが、これはハネズの語をムクゲのハチスの語とが似ているので、そんな説を立てているのであろう。またハナズオウ(紫荊)だと主張する人もある。私は今このハネズの実物についてはなんら考えあたるところもないので、まずまずここにその当否を論ずることは見合わせておくよりほか途がない。しかしそのうちさらに考えてなんとかこの問題を解決してみたいとも思っている。
ムクゲの葉は粘汁質である。私の子供の時分によくこれを小桶の中の水に揉んでその粘汁を水に出し、油屋の真似をして遊んだもんだ。
※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬とフキ
昔から我国の学者は山野に多い食用品のフキを千余年の前から永い間中国の※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬だと思い違いしていた。ゆえに種々の書物にもフキを※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬と書いてある。ところが明治になって初めて※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬はフキではないことが分ったが、それでもまだなお今日フキを※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬であるとしている人を見受けることがまれではない。殊に俳人などは旧株を墨守して移ることを知らない迂遠を演じて平気でいるのは世の中の進歩を悟らぬものだ。
フキは僧|昌住《しょうじゅう》の『新撰字鏡《しんせんじきょう》』にはヤマフヽキとあり、深江輔仁《ふかえのすけひと》の『本草和名《ほんぞうわみょう》』にはヤマフヽキ一名オホバとあり、また源順《みなもとのしたごう》の『倭名類聚鈔《わみょうるいじゅしょう》』にはヤマフヽキ、ヤマブキとある。これでみればフキは最初はヤマフヽキといっていたことが分る。すなわちこのヤマフヽキが後にヤマブキとなり、ついに単にフキというようになり今日に及んでいる。そしてフキとはどういう意味なのか分らないようだ。
フキはキク科に属していて Petasites japonicus Miq[#「Miq」は斜体]. なる学名を有し、我が日本の特産で中国にはないから、したがって中国の名はない。※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬は同じくキク科で Tussilago Farfara L[#「L」は斜体]. の学名を有し、これは中国には見られども絶えて我国には産しない。そして一度もその生本が日本に来たことがない。これは盆栽として最も好適なもので、春早くから数|※[#「くさかんむり/亭」、第4水準2−86−48]《てい》を立
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