フ名だから、こんな他国の字を用いて我国の植物を書く必要は認めない。ゆえに従来の習慣のように漢字を用うるのはもはや時世後れである。昔はそれでもよかった時代もあったが、今日はもう世の局面が一転し、旧舞台が回って新舞台になっていることを理解していなければならない。東方日出でてなお灯を燃やす愚を演じては物笑いだ。
東京帝国大学理学部植物学教室では、何十年以来植物の日本名はみなカナで書いているが、世間はズット大学より後れて昔の習慣から脱却し得ず、いわゆる古い殻を脱がないのである。それがどれほど日本文化の進歩を妨げているか、まことに寒心の至りに堪えない。また自分の国での立派な名がありながら、他人の国の字でそれを呼ぶとはまことに見下げはてた見識で、また独立心の欠けている話し、これはまるで自己の良心を冒涜し、自分で自分を辱かしめているといわれてもなんとも弁解の言葉はあるまい。ゆえに一日、否な一刻も早くこの卑屈な旧慣を改め、この不見識な旧習から脱却して、現下の時勢に鑑み今日の進歩に後れぬように努めねばならないが、しかし旧態依然たる陋習《ろうしゅう》[#ルビの「ろうしゅう」は底本では「そうしゅう」]を株守している人々が世間に多く、これではけっして文化的または科学的な行き方とはいえまい。
オトコラン
男子蘭《オトコラン》! 何んとも勇ましい名じゃないか。元来それはどんな植物か。また誰がそういう名をつけたか。すなわちこれはユリ科に属する Yucca gloriosa L[#「L」は斜体]. に対して私の命じた和名なのである。そしてこの植物は北米の南カロリナ州から南してフロリダ州の海浜に沿った地の原産で、俗に Spanish Dagger(イスパニア人の短剣)といわれるものである。
この Yucca という属名は元来トウダイグサ科の Manihot(すなわちその肉根から Tapioca, Cassava, Macaroni が製せられる)に対する Yucca という土名であるのだが、それを昔 Gerarde という学者が今の植物と間違えたのであるといわれる。そしてその種名の gloriosa は noble で崇高すなわち気高い意味で、それはこの植物を賞讃したものである。
本品は強壮な常緑多年生の硬質植物で、茎は粗大で短く、あまり高くならない。深緑色を呈した葉は強質であたかも銃剣の状をなし、多数に叢出して幅がやや広く、その形は披針形で葉末は鋭い刺尖を呈している。そして葉心から太い花軸を立てて大なる花穂を挺出し、六花蓋片の白花を群着する。雄|蕊《づい》の葯と雌蕊の柱頭とは相当相離れていて、どうしても蛾の媒介がなくてはその結実がむずかしい特性をもっている。すなわちこの属はこの点のため世界で著名なものとなっている。
この男ランが今、日本国会議事堂の前庭に列をなして沢山に栽っていてすこぶる勇壮な装飾となっている。すなわちこれが偶然にも国会の庭前に列植せられているのが幸いで、私はこれは議員諸君が熱意をもって国政を議するとき、我が日本のために男らしく尽すという表徴植物たらしめたいと思っている。私はこの男ランの名を無意義に了らしめぬように議員諸君に懇願してやまない。そして議員諸君が登院のさいには、是非とも右の意味で必ず燃ゆる心の一暼をこの男ランの上に注がれんことを切望する。
ここに別に君ヶ代蘭(私の命名)という同属の一種があって、植物園にはもとより、今諸処の人家の庭にも見られるのが、この種の葉は上の男ランとは違い、その葉叢生していて狭長厚質な緑葉が四方に垂れている。ずっと以前に小石川植物園ではこの品を Yucca gloriosa L[#「L」は斜体]. だと思っていた。その時分に本品に対して君ヶ代ランの和名(私の命名)が出来た。しかるにこれはじつは Yucca gloriosa L[#「L」は斜体]. ではなくて Yucca recurvifolia Salisb[#「Salisb」は斜体].(=Yucca gloriosa[#「Yucca gloriosa」は斜体] L. var[#「var」は斜体]. recurvifolia[#「recurvifolia」は斜体] Engelm.)の学名のものであることが後に判った。そしてこれもまた北米フロリダ州の原産である。しかしその和名はそのままにしておいた。
ついでに日本へ来ている Yucca 属[#「属」に「ママ」の注記]には普通の場合次の二種がある。すなわち一つは無茎種で俗に Adam's Needle(アダムの鍼)と呼ばれる Yucca filamentosa L[#「L」は斜体]. で、その葉縁には白い糸があるから直ぐに見別けがつく。そしてこれをイトランと称する。今一つは顕著なる有茎種で高く
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