P9]柳《テイリュウ》、すなわちギョリュウ(御柳の意)は、タッタ一種のみで他の種類は絶対にない。しかしそれを二、三種もあるかのように思うのは不詮索の結果であり、幻想であり、また錯覚である。
 このギョリュウの学名は疑いもなく Tamarix chinensis Lour[#「Lour」は斜体]. であるが、学者によっては日本にあるギョリュウは Tamarix juniperina Bunge[#「Bunge」は斜体] であるといわれる。そうなると右はいずれが本当か。今これを裁判して判決するのはまことに興味ある問題であるばかりではなく、この判決は疑いもなく世界の学者にその依るところを知らしめる宣言であり、また警鐘である。
 さて日本にあるギョリュウは一樹でありながら、その一面は Tamarix chinensis Lour[#「Lour」は斜体]. であり、またその一面は Tamarix juniperina Bunge[#「Bunge」は斜体] である。すなわちこのギョリュウは五月頃まず去年の旧枝に花が咲いて、これに Tamarix juniperina Bunge[#「Bunge」は斜体] の名が負わされ、次いで夏秋にまたその年の新枝に花が咲いて Tamarix chinensis Lour[#「Lour」は斜体]. の名になるのである。かく同じ一樹で樹上で二回花の咲くことを学者でさえも知っていないのであるのはどうしたもんだ。すなわちこの点では確かに学者は物識りではないことを裏書きする。そしてそれをひとり認識している人は誰あろう、ほかでもないこの私である。この点では天狗よりもっともっと鼻を高くしてもよいのだと自信する。何んとなれば、この事実には日本の学者はもとより世界の学者が挙《こぞ》って落第であるからである。私は気遣いでこれを言っているのではけっしてない。それはちゃんと動きのとれぬ実物が、事実を土台として物を言っているのだから仕方がない。
 ここに一本のギョリュウがあるとする。元来これは落葉樹である。春風に吹かれて細かい新葉が枝上に芽出つ、五月になるとその去年の旧枝上に花穂が出て淡紅色の細花が咲く、花中には雄蕊《ゆうずい》もあれば、子房をもった雌蕋もある。にもかかわらずどうして嫌なのか実を結ばない。ただその顔ばせを見せたのみで花が凋衰する。そしてこの五月の花の場合のものへ Tamarix juniperina Bunge[#「Bunge」は斜体] の名がつけられてある。シーボルトの『フロラ・ヤポニカ』の書にその精図が出ている。私は前に一度これを皐月《サツキ》ギョリュウと名づけたことがあったが、私はその花を当時小石川植物園事務所の西側にあった樹で見た。次いで夏になるとその年の新枝が成長して延びるが、この延びた新枝にまた花が咲く。この場合がすなわち Tamarix[#「Tamarix」は底本では「Tmarix」] chinensis Lour[#「Lour」は斜体]. である。我国の書物では伊藤圭介《いとうけいすけ》、賀来飛霞《かくひか》の『小石川植物園草木図説』第二巻にその図があるのは愉快だ! すなわちこれは日本、殊に小石川植物園に在る樹からの図である。この夏に咲く第二次の花は花体が五月に咲く第一次のものよりも小形である。やはり淡紅色でその花が煙の如くに樹梢に群聚して咲き、繊細軟弱な緑葉と相映じてその観すこぶる淡雅優美である。そして花中には雌雄蕊があって、この花こそ花後に小さい※[#「くさかんむり/朔」、第3水準1−91−15]果《さくか》を結び、それが熟すると開裂して細毛を伴った種子が飛散することを私も目撃したことが数度ある。次いで秋になってもまた往々花が咲く。それがすむともう秋も深けて花も咲かなくなり、しばらくすると冬が来て木枯らしの風が吹きその葉も黄ばんで細枝と連れ立って落ち去り、樹は紫褐色の枝椏を残して裸となるのである。
 井岡冽《いおかれつ》纂述の『毛詩名物質疑《もうしめいぶつしつぎ》』(未刊本)巻之三、※[#「木+蟶のつくり」、第3水準1−86−19]の条下に、「※[#「木+蟶のつくり」、第3水準1−86−19]通名御柳寛保年中夾竹桃ト同時ニ始テ渡ル甚活シ易シ其葉扁柏ノ如ニシテ細砕柔嫩※[#「梟」の「木」に代えて「衣」、第3水準1−91−74]々トシテ下垂ス夏月穂ヲ出ス淡紅色※[#「くさかんむり/紅」、第4水準2−86−42]草花ノ如シ秋ニ至リ再ビ花サク本邦ニ来ルモノ一年両度花サク唐山[牧野いう、中国を指す]ニハ三度花サクモノモアリ故ニ三春柳ノ名アリ云々」と叙してあって、日本へ来ているギョリュウも一年に二度花の咲くことが書いてあるが、しかし夏から秋にかけては、枝によってその花に前後もあれば遅速もあろうから、眺めよ
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