ヘ、もと栽えてあったものから解放せられて自生の姿を呈しているので、そこで軽忽な人を瞞化しているにすぎない。そしてその自生姿を展開し繁殖している場所がいつも御寺の境内とかまたはその付近とかに限られている。例えば紀州の那智山とか房州の清澄山とかにそれがあるというのもまたこの類にすぎない。野州のある寺の付近の斜面崖地にもまた同じく自由に繁殖しているところがあった。
 元来秋海棠は群を成して繁殖しやすい性質をもっている。すなわちそれは主としてその体上に生じている多くの肉芽からである。この肉芽は無論空中を飛ばないからその繁殖は大分限定せられている。花後の果実からも無数の軽い砕小種子が散出するから、この種子からもまた新苗の萌出することがある訳だが、私はまだ右種子からの仔苗を見ない。
 秋海棠は中国名すなわち漢名である。これを音読したシュウカイドウが和名となっている。元禄十一年(1698)に出版された貝原|損軒《そんけん》(益軒)の『花譜』には「正保《しょうほ》の比《ころ》はじめてもろこしより長崎へきたる」と述べ、また宝永六年(1709)出版の同著者『大和本草《やまとほんぞう》』によれば秋海棠の条下に「寛永年中ニ中華ヨリ初テ長崎ニ来ル、ソレヨリ以前ハ本邦ニナシ花ノ色海棠ニ似タリ故ニ名ヅク」と書いてあるが、同人の著書でありながら一つは正保といい一つは寛永という、果たしてどれが本当か。そして上文でみても秋海棠が我が日本の産でないことが判るので、日本にその自生がある訳がないことがうなずかれる。
 秋海棠は真に美麗な花が咲き何んとなく懐しい姿である。さればこそ陳※[#「温」の「皿」に代えて「俣のつくり−口」、第4水準2−78−72]子《ちんこうし》の『秘伝花鏡《ひでんかきょう》』にも秋海棠の条下に「秋色中ノ第一ト為ス――花ノ嬌冶柔媚、真ニ美人ノ粧ニ倦ムニ同ジ」と賞讃して書き「又俗ニ伝フ、昔女子アリ人ヲ懐テ至ラズ、涕涙《ているい》地ニ洒ギ遂ニ此花ヲ生ズ、故ニ色嬌トシテ女ノ面ノ如シ、名ヅケテ断腸花ト為ス」とも書いてある。このことはまた『汝南圃史《じょなんほし》』にも出ている。
 秋海棠はジャワならびに中国の原産であって Begonia Evansiana Andr[#「Andr」は斜体]. の学名を有し、またさらに Begonia discolor[#「Begonia discolor」は斜
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