ニフスベはキツネノチャブクロ科で、その学名は今日では Lasiosphaera nipponica Kobayashi[#「Kobayashi」は斜体] となっているが、もとの学名は Calvatia nipponica[#「Calvatia nipponica」は斜体] Kawamura であって、これを日本の特産菌と認め初めてその新学名を作り発表したのは川村清一《かわむらせいいち》博士であった。

[#「キツネノヘダマすなわちオニフスベLasiosphaera nipponica Kobayashi[#「Kobayashi」は斜体](=Calvatia nipponica[#「Calvatia nipponica」は斜体] Kawamura)」のキャプション付きの図(fig46820_06.png)入る]

  紀州高野山の蛇柳

 紀州の国は名だたる高野山の寺の境内地に、昔から蛇柳《ジャヤナギ》と呼ばれている数株のヤナギの木があって、近い頃まで生存し有名なものであったが、惜しいことには今枯れたとのことを聞いた。その幹は横斜屈曲して枝椏を分ち葉を着け繁っている。先年私はこの高野山に登って親しくこれを見かつ枝を採って標品に作ったことがあった。
 理学博士白井光太郎君はかつて我国のヤナギ類について研究したことがあった。その時分高野にこの柳を採集して検討し、その名を該柳にちなんでそのままジャヤナギと定められたので、爾後この名でこの種《スペシーズ》のヤナギを呼ぶことになっている。その学名は Salix eriocarpa Franch[#「Franch」は斜体]. et Sav[#「et Sav」は斜体]. である。
 右の蛇柳について同博士(当時は理学士)は明治二十九年(1896)六月発行『植物学雑誌』第十巻第百十二号に左の通り書かれている。すなわち、

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   高野山ノ蛇柳
 蛇柳ハ高野山上大橋ヨリ奥ノ院ニ至ル右側ノ路傍ヲ去ル十間許ノ処ニアリ高野山独案内ニ「蛇柳の事」「此柳|偃低《えんてい》して蛇の臥せるに似たり依之名くる与猶子細ありと云ふ尋ぬべし云々」トアル者是ナリ廿八年[牧野いう、明治]八月十三日此処ヲ過ギリ此柳ヲ採集セルトキモ枝葉ノミニテ花部ヲ欠キシヲ以テ帰京後同処小林区署山本左一郎氏ニ依頼シ本年五月其花ヲ得タリ花ハ皆雌花ナリ之ヲ検スルニ
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