古泉大全』と題する大著があって、その書中の古銭図は、もし間違いがあっては正鵠を失するといって、みな自身で手を下して丁寧正確に彫刻し、その書の印刷もまた活版印刷機を室内に用意し、下女などに手伝わせて自家の座敷、畳の上で印刷したものである。後ち東京の守田宝丹(下谷池ノ端、宝丹本舗の主人)が編した古泉の著書にも大分今井君がその面倒をみたものであった。同君はまた日本全国郵便局の消印ある二銭の郵便切手(赤色)を集めていた。中にはすでに廃局になった郵便局の消印あるものまでもみな洩らさずにことごとく集めていた。これは先ず類をみないなかなか凝った趣味的蒐集である。
 私はよく高知付近の植物産地を同君からきいたことがあって、今もそれを書き付けたものが手許に残っている。
 その時分同君の庭に龍眼樹の盆栽があって、その実を着けた写真が、これも同君からもらって今も所蔵している。これが土佐高知で実を結んだのは珍らしいことであるが、冬はキット窖《あなぐら》へ入れて保護してあったのであろう。同家の庭は広くて水石の景致に富んでいた。その植え込みの中に大きなハマユウがあったことを今も記憶している。同君の邸は高知|本町《ほんまち》の南側にあって、店ではその息子さんが時計などを商なっていた。

  中国の椿の字、日本の椿の字

 世間ではよく中国の椿の字と、日本での椿の字とを混同していて明瞭を欠いている場合が少なくない。つまりその椿の字を二つに使い別けすべき根本知識が欠けているから、そんなアヤフヤしたことになるのである。
 ツバキによく椿の字が書いてあるのは誰でも知っているが、この場合はけっして中国の椿ではない。ゆえにこの中国の椿と日本のツバキの椿とが同字であると思ったら、それは大きな見当違いである。これはたとえその字体は全く同じでも、もとより同字ではないからである。
 中国の椿の場合はその字音は普通チン(丑倫切)で、その植物はかのいわゆるチャンチンを指している。が、椿の字が一朝ツバキとなると、けっしてチンではないのである。そしてこのツバキの場合は和字、すなわち和製(日本製)の文字でそれをツバキと訓ませたものである。それはツバキは春盛んに花が咲くので、それで木扁に春を書いた椿の字を古人がつくったもんだ。寺島良安《てらじまりょうあん》の『倭漢三才図会《わかんさんさいずえ》』にも椿を倭字(日本字)だと書いて
前へ 次へ
全181ページ中88ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング