shuja japonica」は斜体] Maxim.)にも寄生するのだが、この樹のものは瘠小で緑色を呈しすこぶる貧弱な姿を呈している。私はこれをクロベヒジキと新称し、その学名を Caeoma deformans Tubeuf[#「Tubeuf」は斜体] var. gracilis Makino[#「Makino」は斜体], var. nov.(Body smaller, slender, loosely ramose, green.)と定めたがこれは稀品であって、私はこれを野州日光の湯本で採った。
[#「アスナロウノヤドリギ=アスナロノヒジキ(『本草図譜』)(原図着色)」のキャプション付きの図(fig46820_20.png)入る]
[#「Uromyces deformans Berk[#「Berk」は斜体]. et Broom[#「et Broom」は斜体]. 1−6(7−8は Puccinia corticioides Berk[#「Berk」は斜体]. et Broom[#「et Broom」は斜体].)[Journal of Linnean Society, Bot. vol. ※[#ローマ数字10、1−13−30]※[#ローマ数字6、1−13−26] Plate ※[#ローマ数字2、1−13−22]]アスナロノヒジキ=アスナロウノヤドリギ」のキャプション付きの図(fig46820_21.png)入る]
キノコの川村博士逝く
理学博士|川村清一《かわむらせいいち》君は日本で第一番の菌蕈学者すなわち斯界のオーソリティであったが、六十六歳を一期として胃潰瘍のため吐血し、忽焉易簀《こうえんえきさく》せられたのは惜しみてもなお余りがある。
君は作州津山の生れで、松平家の臣であった。明治三十九年(1906)七月に東京帝国大学理学部植物科を卒業し、直ちに日本の菌類を研究する途を辿っていた。その間洋行もし、内外多くの文献も集め、また実地に菌類標本も蒐集して研究の基礎を築いた。今はこれらの書籍、標本はみな遺愛品となって遺るに至ったが、遺族の方はこれを日本科学博物館に献納したと聞いた。私は斯学のためまた博士生前の努力のため、ひとえにそれを安全に保存せられんことを切望する次第である。
同君は自ら写生図を描くことが巧みであったので、他の図工を煩わすに及ばす、みな自
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