駐クノ如ク以テ飢ヲ療スベシ」と書いている。
 ひろく我国各地に植えてあって普く人も知っているいわゆるバショウ(Musa Basjoo Sieb[#「Sieb」は斜体].)は昔中国から渡来したものだが、しかしそれがいつの時代であったのか今私には不明である。が、しかし一千余年も前にできた深江輔仁《ふかえのすけひと》の『本草和名《ほんぞうわみょう》』に甘蕉、一名巴蕉を波世乎波(バセヲバ)と書き、源順《みなもとのしたごう》の『倭名類聚鈔《わみょうるいじゅしょう》』にも芭蕉を和名発勢乎波(バセヲバ)と書いてあるところをみると、相当古い昔に来たものであることが推想せられる。つまり一千余年以前に我国に入り来ったこととなる。そして右のバセヲバのバは葉でそれは芭蕉葉の意である。
 バショウは元来暖地の産であるから寒い地方には育たないが、日本中部以南の各地には、別に何んの経済的価値もないが、ただ庭園の装飾用として植えてある。大きな花穂を象の花のように垂れてよく花が咲き、花後に子房(下位子房である)が花時よりは太く増大して緑色を呈し、著しい姿で多数相ならび、永く花穂の花軸上に遺っているのを常に見かける。総体 Musa 属[#「属」に「ママ」の注記]すなわちバショウ属の諸種は、花に大量の蜜液が用意せられ、鳥媒花であることを示しているが、元来バショウは我が土産でないから、したがって我が日本に適当な媒鳥がいなく、それで子房が滅多に孕まず結実するにいたるものが少ないのであろう。けれども中には珍らしく結実して、発芽力のある扁平黒色の種子を宿しているものもある。私はかつてこれを伊予と安房の地で見た。この種子を蔵している果実は終りまで緑色で往々多少は微黄色を呈しているが、しかしその外皮内にバナナ様の肉は出来ない。私の『牧野植物学全集』第六巻(昭和十一年発行)へはその結実せる状と種子を有せる果実とその稚苗との写真を口絵として出しておいた。
 バショウの高く直立せる円柱状の茎はじつは本当の茎ではなくいわゆる偽茎であって、それは長い葉鞘が重なって出来たものである。かの有名な芭蕉布は琉球に産するイトバショウ(Musa liukiuensis Makino[#「Makino」は斜体])の葉鞘から製した繊維で織るのであるが、常のバショウのバショウ繊維は何にも利用せられていない。茎は短大でほとんど地下茎の状を呈し横
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