垂=@Benth[#「Benth」は斜体]. と Evodia officinalis Dode[#「Dode」は斜体] との両種を共に呉茱萸と呼び、そしてこの二つがともに茱萸であるようだ。学名のうえでは截然と二種だが、俗名の方では混じて両方が茱萸となっている。とにかく茱萸は Evodia 属[#「属」に「ママ」の注記]のものでけっしてグミ科のものではないことを心得ていなければ、茱萸を談じ得る人とはいえない。
『大言海』のグミの語原は不徹底至極なもので、けっしてその本義が捕捉せられていない。すなわち正鵠を得ていないのだ。一体グミとはグイミの意で、グイミとは杭の実の義でこの杭は刺を意味して、そして刺は備前あたりの方言でグイといわれ、クイ(杭)と同義である。すなわちグイミとは刺の実の意で、それはそれの生る胡頽子すなわち苗代《ナワシロ》グミの木の枝の変じた棘枝が多いからである。そしてそのグイミが縮まってグミとなったものであるが、この説はまだ誰もが言っていない私の考えである。例えば土佐、伊予などでは実際一般にグミをグイミと呼んでいる。
茱萸をグミだと誤解している人達は、早速に昨非を改めて、人の嗤い笑うを禦ぐべきのみならず、よろしくその真実を把握して知識を刷新すべきだ。
前に書いたように茱萸はすなわち呉茱萸で、その実の味はヒリヒリするものであって、薬にはするが、敢て果のように嘗め啖うべきものではない。中国では毎年天澄み秋気清き九月九日重陽の日に、一家相携えて高処に登り菊花酒を酌み、四方を眺望して気分をはれやかにする。また携えて行った茱萸(呉茱萸)を投入した茱萸酒を飲み、邪気を辟け陰気を払い五体の健康を祈り、一日を楽して山上に過ごして下山して帰宅する習俗がある。
次の詩は中国の詩人が茱萸を詠じたものである。
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独[#(リ)]在[#(テ)][#二]異郷[#(ニ)][#一]為[#(ル)][#二]異客[#(ト)][#一]、毎[#(ニ)][#レ]逢[#(フ)][#二]佳節[#(ニ)][#一]倍[#(マス)]思[#(フ)][#レ]親[#(ヲ)]、遙[#(ニ)]知[#(ル)]兄弟登[#(ル)][#レ]高[#(キニ)]処、※[#「彳+編のつくり」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第3水準1−84−34][#(ネク)]挿[#(ムモ)][#二]茱萸[#(ヲ)][#一]少
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