が枯れたかどうかして、ただ十一本しか残っていなかったと聞いた。たぶん井下君はそれを上野公園のどこかへ植えさせたのであろうと思うが、今日そのオオヤマザクラがいずれの地点に栽わっているのか、私には判然していない。もしも右の樹が枯れずに生長しつつあるとすれば、今日ではもはや花が咲かねばならぬのだが、それが果して毎春咲きつつあるや否や、見きわめたいものである。もし幸いにその樹が枯れずにあって年々花が咲きおるとすれば、上に述べた人の知らない私の心づくしもいくぶん酬いられるわけであるが、今それがどうなっているのやら。
寒ザクラはむろんわが日本のものであれど、しかし今日までまだどこにも野生のものが見つからない。これはことによるとヤマザクラとヒカンザクラ(緋寒桜、学名はプルーヌス[#「プルーヌス」は底本では「ブルーヌス」]・カンパヌラータ(Prunus campanulata, Maxim.)とのあいの子かも知れぬ。またそう思わせる資質を現わしているが、それが果してそうかどうかはにわかに判断がつかない。ヤマザクラと緋カンザクラとはだいぶ花時が食い違っていれど、しかし早く咲いたヤマザクラと遅く咲いた緋カンザクラとがうまい具合に交媒したことが万一あったとしたら、そのときはそのあいの子ができないものでもないと想像する。今日はかの染色体の研究がさかんだから、その方面から検討してみたらあるいはその辺の事情がよく判ることと思う。
私は伊豆の熱海の繁栄策の一つとして、以前から考えていることがある。それをもし熱海の人士が実行するならば、これは確かに熱海の利益である。そしてその花時に際しては、東西南北のお客を熱海に吸い寄せることができると信じて疑わない。すなわちそれは上の寒桜と緋寒桜とを利用することだ。
その策は、カンザクラの苗木をまずおよそ千本くらい(なおたくさんあれば多々ますます弁ずる)用意して、これを熱海の適当なる地へ植えこむ。そしてまたかの緋カンザクラ(現に上のカンザクラもこの緋カンザクラも数本は既に同地の人家に栽えてあって、毎年よく花が咲きつつあるから、この両樹は同地に適する)の苗を同様用意してこれを植える。そしてそれらが生長して花が咲くようになれば、この両樹の花は熱海のような暖地では、早くも一月時分から開花するので、そこで熱海ではもうサクラの花が咲き、それが赤白二色の咲き分けとなっ
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