ているとて、とても評判になり、そら熱海のサクラの花見に行けとて押しかけるワかけるワ、汽車はいつも満員であろう。熱海の旅館やホテルの主人たちが、なぜこの点に着眼しないかふしぎである。
これは言うべくして容易に行なうことのできるなんでもないことがらであるから、私は同地の繁栄のため早くこの二つの赤、白サクラを栽えられんことをお奨めして止まない。マーやってごらんなさい。きっと当たるよ。そして後にはようこそ植えたということになる。
そこで熱海でしかるべき地を相して、寒桜を各方へ分散して植えずにこれを一区域へ列植して一群の林を作る。それから一方の緋寒桜も同様これを方々へ分植せずに、これも一群の林となるように列植する。そしてなるべくはこの二桜林を左右か上下かに接近させる。
まもなくそれが生長し花を開くようになると一方は白いサクラ、一方は赤いサクラと咲き分けになり、それが二月頃同時に開くから熱海では赤白咲き分けのサクラがはや咲いているとて大評判となり、この機逸すべからずと同地の宿屋連中が馬力をかけて大いに広告すれば、そら行って花見をせよやとお客がわれ劣らじと四方八方からワンサワンサと押しかけ来たり、宿屋はたちまちみな満員、桜の林には人だかり、とても同地は賑わうことであろうと信ずる。
こんな天然物を利用して繁栄を策することは、永久的のものであって一時的なものでなく策の最も上乗なものである。私は熱海人士に熱海人士が大いに私のこの献策に耳を傾けられんことを願いたいとは、ずっと以前から私の熱海をおもう老婆心であったのである。
ところがさすが同地にもやはり具眼の人々があって近来寒桜の苗木を多数用意しだいぶこれを同地に植えたのである。しかし残念なことにはその苗木が諸方にばらばらに植えられてあるので私の意見とはちょっと相違している。かくこれをばらばらに植えてそこにチョボリここにチョボリでは引き立たない。どうしてもこれはそれを一所に群栽して、それはちょうど梅林のように、それを桜林とせねばせっかくの努力もたいした好結果を持ちきたさないことを私はひそかに憂えている。
底本:「花の名随筆1 一月の花」作品社
1998(平成10)年11月30日初版第1刷発行
底本の親本:「牧野富太郎選集 第二巻」東京美術
1970(昭和45)年5月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
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