と、燕の尾に似たり」と書いたものなどがある。元来燕の姿は前方に一つの頭があり、その体躯の左右には翅翼があり、後方には両岐せる一つの尾があって、いわゆる左右相称の偏形を呈しているから、それが斉整均等なる輻射相称の形を呈せるカキツバタの花容とはいっこうに合致しない。次に「藤に生ず」とあるが、これは痩せて長いヒョロヒョロした茎、すなわち藤《ツル》のような茎に生じているとの意であるから、わがカキツバタのように茎がツンと一本立ちに突き立っていては決して藤のようなと形容することはできない。次に「一枝に数葩」とあるこの数葩は数花の意であるから、一つの枝に四、五輪かないし七、八輪かの花が付いて咲いていなければ都合が悪いが、カキツバタの花はたとえその茎頂にある鞘苞中に二花ないし三花が含まれてはいるとしても、しかしその花は順を追って新陳代謝し一日に一花ずつしか咲かないから、それは決して数葩すなわち数花が開くとは言えないのである。
上のように燕子花を捕えそれが断じてカキツバタその物ではないと宣告しさると、しからばその燕子花とはいかなる正体の草であるかの問題に逢着する。すなわちこれはすこぶる興味しんしんたる
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