呼ぶようになっている。しかし本当はその植物を指す場合にはすべからく、あけびかずらというべきである、この称呼は既に古からあったのである。
 あけびの実はなかなかに風情のあるものであるから、俳人も歌よみもみなこれを見逃さなかった。昔の連歌に山女(あけび)を見て「けふ見れば山の女ぞあそびける野のおきなをぞやらむとおもふに」と詠んでいる。この「野のおきな」はところすなわちよく野老と書いてある蔓草の根(地下茎)をいったものである。また「いが栗は心よわくぞ落ちにけるこの山姫のゑめる顔みて」とよめる歌の返しに「いが栗は君がこころにならひてや此山姫のゑむに落つらん」というのがある。すなわち山姫はあけびを指したものである。また山女と題して「ますらをがつま木にあけびさし添へて暮ればかへる大原の里」の歌もある。また俳句もかずかずあるがその中に子規のよんだのに「老僧にあけびを貰ふ暇乞」がある。露月の句に「あけび藪へわれより先に小鳥かな」があり、李圃の句に「ひよどりの行く方見れば山女かな」がある。また箕白の句に「あけび蔓引けば葉の降る秋の晴」、蝶衣の句に「山の幸その一にあけび読れけり」がある。また「口あけてはら
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング