あろう。
 そのときジェンキンスの領事裁判に、「参審《アソシエート》」の一人として列席した上海在住米人の有力者A・A・ヘイーズ氏なる者が、後年ある機会にアメリカの新聞に寄せた一文を見ると、事件から正に十二年も経ったのちでありながら、いかにもさっぱりしないいい方である――
[#ここから1字下げ]
「………王陵侵掠という前代未聞の事件は、朝鮮人の攻撃に逢ってマニラ兵が死んだばかりに、ボロを出した。領民が殺害されたというので、スペイン領事が事件をセワード氏――当時の上海米国総領事――に照会する、セワード氏は早速ジェンキンスを捕縛する。四人の“参審”の一人としてこのときの領事裁判に列席した私は、事件がどんな茶番だったか、よく記憶しているが、予審で何から何まで喋《しゃべ》ったシナ人が、公判廷では牡蠣《かき》のように沈黙を守るので、参審会議を開いても判決のしようがない。とはいえ、事件を知悉《ちしつ》した者の眼からすれば、この海賊的遠征隊の暴状は、花崗《かこう》岩の霊廟を石炭ショベルで破壊せんと企てた馬鹿さ加減以上であることは、明らかであった……」。
[#ここで字下げ終わり]
「シナ人」というのは遠
前へ 次へ
全29ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
服部 之総 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング