国総領事セワードにもたらした者に、F・B・ジェンキンスというのがある。文献によってはたんに米人冒険者といいあるいは米国市民とのみ記すが、「前米国領事館通訳官、幼少からシナ語を習得して、書くこともできた」というのが本当らしい。
 総領事セワードはジェンキンスの報告に基づいて、本国政府に、自己を朝鮮開国交渉特使に任ぜられたいと禀請《りんせい》した。折返し本国政府からの訓令で、全権として在北京米国公使ロウを任命し、国威を示すに足る艦隊を付属するということになった。朝鮮でフランスは失敗している、英国は文句をつけたくも手がかりがない、北ドイツ連邦は、二年前にできたばかりでまだ極東政策を確立していない。いまこそ米国が対朝条約のイニシアチヴをとらなければならない。米国としては一方サープライズ号救助の感謝、他方シャーマン号事件の糺明、恩威ならび行うための口実に事を欠かないのだから――内訓はこうした意味を伝えていた。とかくするうち、朝鮮にとって三度目の、実に怪しからぬ洋夷事件が起った。
 一八六八――李太王《りたいおう》五年四月十七日、一隻の黒船が、忠清《ちゅうせい》道|牙山《かざん》湾の行担《ハンタン
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