も、結果は知れたものだったろうが、翌年は安南《あんなん》に兵を動かさなければならなくなり、日本の内乱も、英国とにらみ合って監視する必要がある。そのうち普仏戦争、そして、パリ・コンミューン。ゼスイットをお先棒に使ったルイ十四世以来のフランス植民政策は、焼《やき》の廻ったナポレオン三世に踏襲されて朝鮮で最後の実を結ぼうという瞬間に、虎手八百で躓《つまず》いたばかりに永遠に駄目になったのだから、この戦、偶然の勝利とはいえ決定的な勝利になった。
 地獄に堕ちたように悲嘆した者に、ふたたび今は上海租界《シャンハイそかい》にあじきない日を送っている三名の仏人宣教師と、これを取巻く数名の朝鮮人信者とがあった。仏人宣教師の一人をアベ・フェロン師という。

 同じ一八六六年には、米国船との間にも事が起った。米国スクーナー「サープライズ」号は、朝鮮近海で難破したが、風の吹廻しか親切に救助され(日本では難破米船員はみんな牢屋にぶちこんだうえでオランダに渡したが)、そのまま義州越しにシナに渡されて、無事に帰った。ところがその翌月、大同江《だいどうこう》をぐんぐん遡《さかのぼ》って、平壌《へいじょう》に迫った米
前へ 次へ
全29ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
服部 之総 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング