買った補助機関船「イングランド」だった。白鳳《はくほう》丸と改名されて英薩戦争で英艦隊に拿捕《だほ》され焼棄された。
『近代の偉人故|五代友厚《ごだいともあつ》伝』という本を見たら、友厚が文久二年に幕府の千歳《ちとせ》丸に水夫に化けて乗込んで上海へゆき、「ふとドイツ船シャジキリー号を売却するの風聞を耳にするや……弱冠白面の身をもって、汽船八隻の船価五十万ドルを十二万五千ドルにて買収し、一躍船長となり八艘の船を引率して帰朝したりと云々」と書いてあったが、調べてみたら「シャジキリー」は「サー・ジョージ・グレイ」で、文久三年にこれと「コンテスト」と二艘合わせて十八万ドルで薩藩が購入している。
 この年日本全体で七艘、総価格五十七万ドルの外船を購入したのが事実である。『偉人伝』には往々この類のでたらめが多い。

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 話がそれたが、薩藩に「イングランド」を売付けた英人リンゼイの著書『一八一六から一八七四に至る商船史』には、合衆国の太平洋郵船会社の定期汽船がはじめて北太平洋を横断すべく、金門湾を解纜《かいらん》したのは一八六七年一月だったと記している。船名は
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