ろうと考えていたのである。こんどの太平洋戦争で、まず沖繩をおとし、つぎに日本本土に向うことになっていたのとちょうど同じことだ。
[#7字下げ]開国派と攘夷派[#「開国派と攘夷派」は中見出し]
太平の眠をさました黒船の来航は国内に開国派と攘夷派の抗争となって波紋をひろげていった。ところで同じく開国派といい、攘夷派といっても、それぞれ二種類があった。
開国派の一方には、井伊《いい》大老の一派がいる。腹の中では開国すれば古い自分たちの権力が保てないことを知りつつも、なお一時の権勢を保とうとするための開国派である。もう一つは真の開国派で、ふるくは安藤昌益《あんどうしょうえき》、佐藤|信淵《のぶひろ》から、渡辺|崋山《かざん》、高野長英《たかのちょうえい》を経て、ペリー来航当時は佐久間象山《さくまぞうざん》、橋本左内などがその代表者であった。これらの人びとは、世界の進運に深く思いをいたし、憂国の至情から開国を主張した愛国派である。だから時の権力から烈しい弾圧を受けたのであった。
攘夷派にも同じく封建支配者の攘夷と人民の攘夷の二派があった。前者の例は生麦《なまむぎ》で薩摩《さつま》の武士
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