およそ「生身《なま》の貨物」だけは、いつまでも帆船のものである。という意見が船舶業者の間でも、陸の商人の間でも、長いこと行われていた。そんなわけで、帆船芸術の極致といわれた数々のティー・クリッパアは、汽船が太平洋を渡るころになっても、依然として南シナ海、インド洋および太平洋の女王だった。ところが一八六三年にとある果敢な荷主が出て、上海《シャンハイ》からロンドンまで一千二百五十トンの新茶を蒸汽船ロバート・ロウエ号に運送させた。そして、新茶の香気が汽船によっていささかも損われないという事実を実証した。それでもまだその後十年ほどは、茶は帆船にという偏見が維持されていた――ただしその後十年だけのことである。
 果実をはじめ、マトン、ラム、ビーフ、バター、ミルク、野菜、魚類等々の「生身《なま》の貨物」にいたっては、汽船はいけないどころか、汽船によってはじめてこれらの貨物は長距離輸送が可能になった。最初の冷蔵船が英濠間を往復したのは一八八一年である。その前年、試験的に濠洲からロンドンに運ばれた羊肉はわずか四百頭分にすぎなかったのが、一九〇一年には濠洲から百二十二万五千頭、ニュージーランドから三百二
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