応する海の技術的転回は同じく高圧蒸気と容積縮小を実現した複式エンジンの発明(一八五六年)で、石炭消費量はおよそ半減した。
 それまでは――低圧単気筒の時代には――石炭消費量は一馬力一時間当り平均六ポンド。そこへもってきて後年のように石炭供給所が到るところにあったわけでないから、いよいよもって尨大《ぼうだい》な炭庫を必要とした。それだけ貨物ないし旅客のための比例容積は狭められたのである。
 まさか諸国逓信省が鉄造船を頑強に嫌ったからという理由だけでもあるまいが、五十年代までの汽船は、一方帆船がしきりに鉄造化されるにもかかわらず、木造だった。一八三三―一八五〇年の間に建造された大西洋ライナーのうちで鉄造汽船は一八四三年建造のグレート・ブリテン号くらいなものだ。貨物はいっさい算盤に合わぬから帆船に任され、帆船が技術上の最後の発展形態にまで完成されるための経済的根拠となった。相当に高価な旅客運賃だったが、それでも、それだけでは、なお当時の汽船の経済は不可能だった。政府の補助金が加わってはじめて算盤が合ったのである。政府の補助金は郵便物托送を名として客船会社に与えられた。
 エンジンの技術的制約を究極の原因とするこうした経済的依存状態から、エンジンの改良なしに脱却するための方法はないか? 実は問題は一八五一年に次のような形で提起されたのである――政府補助金なしに英濠間の汽船航路をいかにして実現せしむべきか?
 この年濠洲のヴィクトリアで金鉱が発見された。もっぱら農業植民地としてのそれまでの濠洲の欧洲にたいする意義が一変した。定期的な連絡が要求された。海底電信はまだだった。金色の植民者団はそれで英濠間の最速汽船にたいする賞金を発表した。
 そこでE・S・N――東方汽船会社というのが英国で設立されて、翌一八五二年に千三百五十トンの汽船を二隻つくって、賞金は見事貰ったが算盤が合わぬことになった。英国政府が郵便補助金をどうしてもくれない。
 株主会議。補助金なしでいかにして経営すべきか? 技師ブランネル氏の最も理論的なプランが株主たちになるべく解りやすい言葉で説明された。エンジンの改良はまだどこでも実現されていない。とすればエンジン以外での技術的改良によって、補助金がなくても儲《もう》かるように工夫するほかはない。それにはべらぼうもなく巨《おお》きな船を造るというのがブランネル氏のプ
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