(七二・九%)
[#ここで字下げ終わり]
 括弧《かっこ》のなかは帆汽船合計船舶総トン数にたいする帆船トン数の比率である。帆船は一八八四年まで年々殖えてゆき、同時にまた[#「同時にまた」に傍点]減ってゆきつつあったのである。
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一八九〇    一、二〇二   (五四・〇%)
[#ここで字下げ終わり]
 実数の上でも減った。貨物が帆船から汽船に奪われてゆくのだ。貨物は何よりも資本家的商品である。何月何日にロンドンから、メルボルンから発送すれば、何月何日までにヨコハマへ、シスコへ着くという見とおしが何はおいても必要である。いかにも帆船の方が運賃は安いが、運賃をいっておれないもっと大きな利益が、運輸時日の確時性《パンクチュアリティ》という一事から生れる。
 帆は風まかせ。
[#ここから2字下げ]
一九〇〇      九九九万トン(三八・一%)
[#ここで字下げ終わり]
 帆のない汽船トン数の方が、絶対的にも相対的にも殖えたのである。石炭を焚《た》いて臭い煙を吐く蒸汽船に、たとえば茶のような商品は、いかになんでも、積むことができない。そのほか果実《くだもの》――その他およそ「生身《なま》の貨物」だけは、いつまでも帆船のものである。という意見が船舶業者の間でも、陸の商人の間でも、長いこと行われていた。そんなわけで、帆船芸術の極致といわれた数々のティー・クリッパアは、汽船が太平洋を渡るころになっても、依然として南シナ海、インド洋および太平洋の女王だった。ところが一八六三年にとある果敢な荷主が出て、上海《シャンハイ》からロンドンまで一千二百五十トンの新茶を蒸汽船ロバート・ロウエ号に運送させた。そして、新茶の香気が汽船によっていささかも損われないという事実を実証した。それでもまだその後十年ほどは、茶は帆船にという偏見が維持されていた――ただしその後十年だけのことである。
 果実をはじめ、マトン、ラム、ビーフ、バター、ミルク、野菜、魚類等々の「生身《なま》の貨物」にいたっては、汽船はいけないどころか、汽船によってはじめてこれらの貨物は長距離輸送が可能になった。最初の冷蔵船が英濠間を往復したのは一八八一年である。その前年、試験的に濠洲からロンドンに運ばれた羊肉はわずか四百頭分にすぎなかったのが、一九〇一年には濠洲から百二十二万五千頭、ニュージーランドから三百二
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