三百六十一トンの「カイゼル・ウィルヘルム二世」がそれである。
「グレート・イースタアン」から「カイゼル・ウィルヘルム二世」にいたる半世紀の間、技術上の進歩はどの方面で行われていたか? 船体の構造についていえば、トン数の割合にいやに細長くなったことである。そのため速力が増し、同時に中央部船室の数が殖えるという一石二鳥の徳がある。むろんライナーの話で貨物船はべつだ。何よりの発達はいうまでもなくエンジンで、複式エンジンのことは前に書いたが(それとともに外輪《パドル》は永遠に博物館物になった)、一八八一年には三段膨脹機関《トリプル・エキスパンション・エンジン》、一八九四年には四段膨脹機関《カドラプル・エキスパンション》が発明されて、そのたびに汽船はいよいよ「経済的に」なっていった。「グレート・イースタアン」がべらぼうな図体に設計されたのは単式機関の欠陥を補うための手段だった。これに反して「カイゼル・ウィルヘルム二世」は時速二三ノット半を平気で出しうる双スクリュー四段膨脹エンジンの性能を百パーセント発揮するために、半世紀の間忘れられた怪物的巨体を恢復《かいふく》したのである。
汽船の凱歌《がいか》は帆船にとっては輓歌《ばんか》であった。「グレート・イースタアン」が起工される四年前、一八五〇年の数字で、全世界の船舶総トン数は九百三万二千トン、そのうち八百三十万トンすなわち九一・九%までは帆船であった。ところが「カイゼル・ウィルヘルム二世」が進水する一年前、一九〇〇年には、総トン数二千六百二十万五千トンのうち六一・九%までは汽船になっていた。
「グレート・イースタアン」は鉄造船の権威を確立したけれども汽船としては、換言すれば帆船にたいする新たなる世紀の挑戦者としては、失敗した。帆船はかえって自己を鉄造化することによって、なおしばらくのあいだ、汽船にたいする優越的地位を保つことができた。むろん旅客だけは汽船に譲らなければならなかった。が、年とともに激増してゆく貨物の運輸という部面では、鉄造帆船が商業上の優勝者として残った。全世界の帆船トン数は一八八〇年までは年とともに殖えていっている。
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一八五〇年 〇、八三〇万トン(九一・九%)
一八六〇 一、一八四 (八九・一%)
一八七〇 一、四一一 (八四・二%)
一八八〇 一、四五四
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