外はあったが、米支をつなぐのに太平洋を用いなかった。
 日本開港の日までシナは扁平な世界および世界市場の極東端だった。三十年以来シナ市場は絶間《たえま》ない英米競争の場所だった。一八四二年の五港開放以後、世界経済中に占めるシナ市場の位置――対支貿易の量――は、ことに重要性を帯びてきた。太平天国の乱によってシナ市場が閉鎖されたら欧洲に革命が起る、とマルクスが叫んだほど。
 そのシナの茶とアメリカ人参《にんじん》の往返が太平洋を忌避し、太平洋が帆船にとっても超ゆべからざる地表の大クレヴァスだったわけというのは――
 第一にアメリカ合衆国が一八四六年までは太平洋岸を所有していなかったこと。
 第二に太平洋岸の米大陸が、一八四八年まで何らの市場を――なによりも人間そのものを約束していなかったことである。

[#7字下げ]二 カリフォルニア黄金狂時代[#「二 カリフォルニア黄金狂時代」は中見出し]

 ニューヨークを出た船はケープホーンを廻って太平洋へ首を出すまでには、立派に喜望峯《きぼうほう》をめぐってインド洋へ出ていられる。インド以東がどんなに遠かろうと、いたるところ商利を約束する港々に満ち
前へ 次へ
全32ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
服部 之総 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング